1950年6月25日、北の侵攻以来3年に及んだ朝鮮戦争は、一進一退を繰り返した後、スター
リンの死により、急速に収束の方向へ向かい、1953年7月27日、38度線上の、ここ、板門店
において、終戦の調印が行われました。
以来、板門店は、政治、軍事、民事の、諸問題を話し合う場となって、現在に至ります。
板門店周辺には、未だに、未処理の地雷ゾーンが各所にあります。標識を付けて、注意を促
していますが、万一の場合は、すべて、自己責任である旨の誓約書にサインさせられました。
板門店、国連停戦委員会の建物。
自由の家。
この上から、北側の建物を含めて、板門店のほぼ、全景を見渡すことが出来ます。
国連側建物。
前庭。
北の宣伝村。
高さ160米の世界一高い、国旗掲揚塔が見えます。
北側の景色。
北側の板門閣。年間、9000人の北側観光客が訪れます。
中央に、警備兵の姿が見えます。
北の建物。
青い建物は、国連側の建物です。
ここでは、停戦委員会が開かれます。
中央に、38度線が走っています。この上にテーブルが置かれています。
38度線を越えて一番北側にいる、警備兵(国連兵、と言っても、現在は、米兵が担当。)。観光
客が、記念写真を撮っています。
38度線標識。
帰らざる橋。
停戦調印後、この橋で、捕虜交換が行われました。
停戦ラインをはさんで、南北各々2kmの非武装地帯は、鳥の楽園です。
愚かな人間の欲望さえ無かったら、ここは、人間の楽園でもあった筈なのですが。
最後に、冊子板門店を刊行された、ハンリム出版社に感謝しながら、この、国境シリーズを終
わらせていただきます。