このブログは、mcnjの日記として記録するものです。どうぞスルーして下さい。
1月の末の夜遅く、突然、松本の、中学1年の時の同級生から、電話がありました。
明日、東京のもう一人の同級生と、去年亡くなられた、担任の長井先生の墓参りに行くが、お前はどうするか、と言う電話でした。
先生の家も、寺もわからないが、無駄足であるかもしれないが、とにかく、行って見るつもりだとのことです。
mcnjは、寺はわからないが、先生の家へは行ったことが有り、案内してやると言って、行くことにしました。
早いしなの号に乗らなければならないので、早朝に出発しました。
9時のしなのに間に合いました。
名古屋駅です。
庄内川、土岐川沿いに、愛岐丘陵を超えると、木曽川側に出て、中津川です。
木曽川沿いに、国道19号が走っています。
雪山が見えて来ました。
中央アルプスの山々です。
木曽路(旧中山道)は、全て山の中。島崎藤村も、こう書きだしています。
途中、上松で、寝覚めの床を通過しましたが、ボケた写真しか撮れませんでした。
木曽福島の手前で、御嶽山を狙いましたが、これもダメでした。
↑薮原、。木曽川は、ここを左の方へさかのぼります。中央西線、19号は、右に曲がって、
鳥居峠をトンネルで抜けて、奈良井川側へ出ます。
旧中山道奈良井宿のある奈良井の町です。
塩尻の桔梗が原から見た穂高連峰。
反対側の山並みは、花の百名山、鉢伏山。
王ケ鼻、王ケ頭の美ヶ原が見えてくると松本です。
ここで迎えの車に乗り換え、美ヶ原の一角、三才山の下の三才山トンネルを抜けて、佐久方面
へ出ます。
松本から見た美ヶ原の真後ろです。
↑北八ヶ岳方面の山々。
やがて、国道142(旧中山道)と交差するところが、目的地の、長門町(現長和町)、旧中山道
42番宿長久保です。
旧中山道は、ここから笠取峠を越えて、望月、岩村田、追分、沓掛、軽井沢と続き、碓氷峠を越えて、松井田、安中、高崎へと下ります。
永井先生の旧宅。
先生のご自宅だった家は、すでに、売りに出されていました。
これから、不動産屋経由で、先生の菩提寺を探すのに一苦労しましたが、幸いにも、同じ町内にありました。
先生の奥様は、先生より3年先に先立たれておられました。
どちらも、教師をされておられて、野草のご趣味で、お若いころほうぼうを歩かれていらっしゃったそうです。
今度は、同級会のみんなで、お墓参りをして、近くの温泉で、先生を偲ぶことを約束して、別れてきました。
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追記
ここで、長い先生のことを取り上げさせていただいたのは、皆さんのブログで、永遠のゼロの話が良く出て来るためです。
先生は、少年航空隊を出て、特攻のために待機していたそうですが、もう少しのところで、終戦になり、生きながらえたそうです。
理化の先生をされておられましたが、化学、物理、数学のなどの話を、授業以外で良くされていらっしゃいました。
mcnjは公私ともに大変におせわになりました。
今のmcnjがあるのは、先生のお蔭と言っても過言ではありません。
10年ほど前、家内と、独身の娘たちを連れて、先生のお宅を訪問したのも、どうしても、お元気な先生のお姿をこの目に焼き付けておきたかったからです。
先生も大変喜んでくださいました。
帰りに、奥様からお土産までいただきました。
先生は、帰る私たちを、見えなくなるまで見送って下さいました。
もう一度お会いしたかったのですが、叶わぬ夢となってしまいました。
今は、お二人のご冥福をお祈りするしかありません。
安らかにお休みください。
合掌