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韓国文化の紹介。

韓国の散歩道、死六臣公園、スモモの花と花

2016-03-29 05:51:31 | 日記

 

 

1392年、季(のがないのが正しいおですが、goo不手際で、変換できません。しばらくご辛抱ください。)成柱(いそんぎゅ)は、

高麗をたおして、季王朝を建てて、国王に就き、太祖(新王朝最初の王)を名のります。

太祖の第五子、太宗は、多くの兄弟、建国の功臣たちを殺して、王位につきます。

太宗は、太祖の改革を推進して、ようやく国の基盤をかためました。

太宗の後をついだ世宗は、さらに、改革をすすめ、国の基盤を盤石なものとし、偉大なる王と呼ばれます。

世宗は、太宗のときの、兄弟争いを防ぐため、嫡出子(長男)相続の原則を固めました。

世宗は、側室を含めて多くの子をもうけますが、死後は、原則どおり、嫡出子が跡を継ぎますが、病弱で、若くして

亡くなってしまいます。

端宗があとをつぎますが、端宗はまだ、幼かったため、功臣の実力者、金宗端が後ろ盾になり、力をふるい、

政権をを思うがままにしてしまいます。

端宗の伯父、世宗の四男、首陽大君は、これを快く思わず、隙をみて金宗端を暗殺し、実権ををにぎります。

初めは、おいの面倒をみるつもりでしたが、次第に欲を覚え、端宗を廃して、自分が国王となります。

これが世祖です。

これに不満をを持った若手の学者たちや、朝廷の実力者たちは、結束して、世祖に反発します。

端宗の復位を申しでたのですが世祖は、これに怒り、筆頭の六人を罪に問い、八つざきの刑に処してしまいました。

後の時代になって、その名誉は回復され、朝鮮王朝時代の孝臣として、あがめられております。

彼らの霊廟が、ここにあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ。