4年前の、戦後70年の記憶(過去ログ)である。
幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。
あの戦争を知らないこの世代に、少しでも、伝え残しておきたいと思って、記しておく。
この経緯は、当時小学2年生のmcnjにわかるはずもなく、まったく、記憶は無い。
後に調べたことであるが、それまでの、天皇主権から、国民主権に変わったこと、基本的人権を尊重すること、
平和主義に徹することが、3大原則であると教えられた。
この際、皆さんも、ぜひ、wikipediaなどで、お調べになられたらいかがかと思う。
昭和20年8月15日、日本は、ポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏をした。
ポツダム宣言に織り込まれた条文を遵守する法的義務があり、その一つが、大日本帝国憲法に変わる、ポツダム宣言の
精神にのっとった、新憲法の制定義務であった。
内容は、GHQ(連合国軍総司令部)がポツダム宣言の主旨に沿って定めたものであったが、最後の、帝国議会で、若干
の修正の後、昭和21年11月3日公布され、翌22年5月3日施行された。
本稿は、バックナンバーでは、もっと、後日の投稿予定であったが、本日の憲法記念日に合わせて、前倒しで投稿した。
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安倍新内閣が発足した。
最近の、対韓強硬路線で人選を行ったようであるが、その裏には、この際改憲をしやすくする、思惑も見え隠れする。
国民は、目をそらしてはならない。
明治政府の、大日本帝国憲法では、天皇に主権を与え、国民は、それに従えと言うものであった。
天皇が、万全の聖君の場合は、それが最善の政治であったろうが、権力を握った、取り巻きの勢力が、
天皇を利用して、思うようにやりたいことを行った、それが、日本軍部の行った、あの大戦の、不幸であった。
今の、日本国憲法は、国民に主権を与え、国民によって選ばれた国会議員が政治を行うことになっている。
この国の政治がよくなるかどうかは、国民の判断にゆだねられているのである。