地下鉄4,6号線、三角地駅前にある戦争記念館は、朝鮮5千年の歴史の中で、幾度となく、
繰り返されて来た、外国からの侵略に対して、民族が、どの様に闘って、国を守って来たか、
資料を基に展示し、戦争の教訓を学び、これからの平和国家建設に資するための、国民の
教育、外国人への啓蒙を行っております。
なんと言っても、朝鮮戦争の傷跡と、南北分断の悲劇の解消を願う、民族の気持ちが伝わっ
て来る記念館でした。
最初は、ドラマ太王四神記でもおなじみの、高句麗の王、広開土王の業績をたたえた、石碑
が目につきます。
ドラマにも出て来た、国内城の地名もありますね。
朝鮮戦争の最中に、偶然出くわした、実の兄弟が、敵味方を超えて、和解し、抱き合う 姿の
像です。
実話に基づいています。
是非説明文をお読み下さい。
朝鮮戦争中に使われた、ソ連、国連軍の武器が展示されています。
この他に、資料館があって、様々な資料が展示されていました。
場内見学中に、不思議な物に出会いました。
どうやら、結婚式中の、新郎新婦の行列のようでした。
隣接する、結婚式場で式を挙げる二人に、戦争記念館を見せて、記念すべき門出に、
改めて、戦争の愚かさ、平和の大切さを認識してもらおうとの気持ちかららしいです。
結婚式の模様は、次回UPさせていただきます。
地下鉄1号線、鍾閣駅を出ると、まず、目に飛び込んで来るのは、三星証券ビル(鍾閣タワ
ー)です。
すぐ脇にあるのが、普信閣です。
朝鮮王朝太祖(1395年)に、鋳造された鐘楼(鍾閣)がここにあり、朝晩鐘を鳴らして、時刻
を知らせたことから、このあたりを、鍾路と呼ぶようになりました。
鍾路3街に向かって、暫く行くと次のサムゴリ(四つ角)は、」仁寺洞への入り口です。
その脇には、タプコル公園があります。
タプコル公園は、民族独立宣言がここで行われた、歴史的な場所として、保護されています。
ガラスの中にあるのは、円覚寺十層石塔で、国宝第2号に指定されています。国宝第1号
は、あの、南大門です。
仁寺洞は、再開発で大きくかわりました。
仁寺洞通りは、整備されて、綺麗なみやげ物店がならんでいます。
昔は、素朴な骨董品商店が軒を連ねていたのですが。
今は、そんな店は、裏通りの片隅に追いやられています。
買物に夢中の親においていかれた幼子が、無邪気に眠っていました。
さて、仕事の都合で、3,4日、信州の方へ出かけます。
暫く、このblogはお休みさせていただきます。
ただいま戻りました。
ブロバイダーによっては、外国からのコメントを、はなから受け付けないところとか、
英数文字のコメントは拒否するところがあって、お伺いしても、コメント出来ないことがありま
した。
ご無沙汰してしまった皆さんには、失礼を致しましたが、悪しからず、ご了承下さい。
ちょっと、遅くなって、気が抜けてしまいましたが、6/10 デモの話題です。
6/11 の新聞の写真です。日本でも、TVでおなじみの光景ですね。
記事のタイトルは、21年ぶりの歓声。第2の民主化と、あります。
21年前の、1987年、韓国は、チョン ドファン大統領の軍事政権下におかれていました。
チョン ドファンは、引退にあたり、軍の後輩の、ノ テウに引き継がせ、王政を引くつもりでし
た。
これに反発した国民は、全国的に、大規模なデモを展開します。
1987年6月10日、ついに、反対運動は頂点に達し、100万人規模の全国集会が行われま
した。
これを見た、チョン ドファンは、軍事政権の継続を諦め、ノ テウの軍服を脱がせ、背広を
着せて、もはや、、ノ テウは軍人ではなくポトン サラム(普通の人)だと言って、選挙に臨み
ます。
野党の分裂もあって、結果は、ノ テウの勝利に終わりますが、6/10日と言う日は、長い軍事
政権が、このデモを契機にして終りを告げた、記念すべき日として、韓国人の心の中に刻み
つけられました。
新聞が第2の民主化と書く意味はここにあるのです。
翌日のデモの場所は、普段のビジネス街と変わりありません。
米国大使館前は、警察の護送車が出動して、ものものしい警戒でした。
市民広場のある市庁舎前は、小規模な集会が行われていて、やはり、警察が警戒して
いました。
広場の直ぐ前の、徳寿宮の中は、デモの騒音とは無関係に、新緑の木々につつまれたまま
でした。
徳寿宮現代美術館では、カルティエの、宝石展が行われていました。