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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

韓国の散歩道 戦争記念館

2008-06-24 11:47:11 | 写真

地下鉄4,6号線、三角地駅前にある戦争記念館は、朝鮮5千年の歴史の中で、幾度となく、

繰り返されて来た、外国からの侵略に対して、民族が、どの様に闘って、国を守って来たか、

資料を基に展示し、戦争の教訓を学び、これからの平和国家建設に資するための、国民の

教育、外国人への啓蒙を行っております。

なんと言っても、朝鮮戦争の傷跡と、南北分断の悲劇の解消を願う、民族の気持ちが伝わっ

て来る記念館でした。

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最初は、ドラマ太王四神記でもおなじみの、高句麗の王、広開土王の業績をたたえた、石碑

が目につきます。

ドラマにも出て来た、国内城の地名もありますね。

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朝鮮戦争の最中に、偶然出くわした、実の兄弟が、敵味方を超えて、和解し、抱き合う 姿の

像です。

実話に基づいています。

是非説明文をお読み下さい。

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朝鮮戦争中に使われた、ソ連、国連軍の武器が展示されています。

この他に、資料館があって、様々な資料が展示されていました。

場内見学中に、不思議な物に出会いました。

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どうやら、結婚式中の、新郎新婦の行列のようでした。

隣接する、結婚式場で式を挙げる二人に、戦争記念館を見せて、記念すべき門出に、

改めて、戦争の愚かさ、平和の大切さを認識してもらおうとの気持ちかららしいです。

結婚式の模様は、次回UPさせていただきます。


安曇野の美術館 1

2008-06-23 22:08:45 | 写真

先日の同窓会で訪れた安曇野の美術館です。

安曇野には、たくさんの美術館があり、安曇野アートラインと呼ばれています。

今回は、そのうち、3ケ所ほど見学しました。

順にご紹介します。

大熊美術館。

林の中の小さな美術館ですが、ロイヤルコペンハーゲンの名品を数多く 展示しています。

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裏には、簡単なレストランもあり、マスターのコレクション、真空管アンプのステレオが、素敵

な音を聞かせてくれていました。

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韓国の散歩道 鐘閣、タプコル公園、仁寺洞

2008-06-20 20:15:21 | 写真

地下鉄1号線、鍾閣駅を出ると、まず、目に飛び込んで来るのは、三星証券ビル(鍾閣タワ

ー)です。

すぐ脇にあるのが、普信閣です。

朝鮮王朝太祖(1395年)に、鋳造された鐘楼(鍾閣)がここにあり、朝晩鐘を鳴らして、時刻

を知らせたことから、このあたりを、鍾路と呼ぶようになりました。

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鍾路3街に向かって、暫く行くと次のサムゴリ(四つ角)は、」仁寺洞への入り口です。

その脇には、タプコル公園があります。

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タプコル公園は、民族独立宣言がここで行われた、歴史的な場所として、保護されています。

ガラスの中にあるのは、円覚寺十層石塔で、国宝第2号に指定されています。国宝第1号

は、あの、南大門です。

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仁寺洞は、再開発で大きくかわりました。

仁寺洞通りは、整備されて、綺麗なみやげ物店がならんでいます。

昔は、素朴な骨董品商店が軒を連ねていたのですが。

今は、そんな店は、裏通りの片隅に追いやられています。

買物に夢中の親においていかれた幼子が、無邪気に眠っていました。

さて、仕事の都合で、3,4日、信州の方へ出かけます。

暫く、このblogはお休みさせていただきます。


韓国の散歩道 2008.6.10 デモ

2008-06-19 23:11:22 | 写真

ただいま戻りました。

ブロバイダーによっては、外国からのコメントを、はなから受け付けないところとか、

英数文字のコメントは拒否するところがあって、お伺いしても、コメント出来ないことがありま

した。

ご無沙汰してしまった皆さんには、失礼を致しましたが、悪しからず、ご了承下さい。

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ちょっと、遅くなって、気が抜けてしまいましたが、6/10 デモの話題です。

6/11 の新聞の写真です。日本でも、TVでおなじみの光景ですね。

記事のタイトルは、21年ぶりの歓声。第2の民主化と、あります。

21年前の、1987年、韓国は、チョン ドファン大統領の軍事政権下におかれていました。

チョン ドファンは、引退にあたり、軍の後輩の、ノ テウに引き継がせ、王政を引くつもりでし

た。

これに反発した国民は、全国的に、大規模なデモを展開します。

1987年6月10日、ついに、反対運動は頂点に達し、100万人規模の全国集会が行われま

した。

これを見た、チョン ドファンは、軍事政権の継続を諦め、ノ テウの軍服を脱がせ、背広を

着せて、もはや、、ノ テウは軍人ではなくポトン サラム(普通の人)だと言って、選挙に臨み

ます。

野党の分裂もあって、結果は、ノ テウの勝利に終わりますが、6/10日と言う日は、長い軍事

政権が、このデモを契機にして終りを告げた、記念すべき日として、韓国人の心の中に刻み

つけられました。

新聞が第2の民主化と書く意味はここにあるのです。

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翌日のデモの場所は、普段のビジネス街と変わりありません。

米国大使館前は、警察の護送車が出動して、ものものしい警戒でした。

市民広場のある市庁舎前は、小規模な集会が行われていて、やはり、警察が警戒して

いました。

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広場の直ぐ前の、徳寿宮の中は、デモの騒音とは無関係に、新緑の木々につつまれたまま

でした。

徳寿宮現代美術館では、カルティエの、宝石展が行われていました。