韓国では、陰暦1月15日(テルボム)に、五穀米のご飯を炊いて、その年の、家内安泰、健康維持、五穀
豊穣祈願して食べます。
五穀:米、麦、粟、豆、キビ。
今では、テルボムだけではなく、日常の祝い事の時とか、来客の接待など、めでたい時の食事とされてお
ります。
今でこそ、米は、ありふれた主食になりましたが、一昔前の韓国では、日本もそうであったのでしたが、
米どころか、雑穀でさえ、十分な量を確保することが困難な時代でした。
とにかく、腹を満たせるだけの食料を確保するのが、難しかったのでした。
朝、散歩に出て、隣人と顔を合わせた時の挨拶は、
「アチム シクサ ハショスミカ?」
アチム:朝、シクサ:食事、ハショスミカ?:なさいましたか?
「朝の食事は、すまされましたか?」です。
お元気ですか?、ご機嫌いかがですか?、ではありません。
朝、食べられたか、食べられないかを、相手を思いやってかけてやる言葉です。
これに対して、食べていても、食べていなくても、返事は、
「イェ モゴッソヨ」 と答えます。イェ:はい モゴッソヨ 食べました
若し、正直に、食べていませんと答えたら、相手は、必ず、それでは、私の家で食べましょうか
と言われるらです。
日本の戦国時代、地方の城主が、信長の手勢に^攻め込まれて、交戦していましたが、遂にどう
しようもなくなって、落城の晩に、女子供を自害させて、落ち延びていき来ました。
追われながら逃げ延びるのですが、どうしようもなくなって、最後の晩、ありったけの白米を炊
いて、兵士に食べさせるのでした。
兵士たちは、今まで食べたこともない白米飯をみせられて、いよいよ最後だなと自覚して、思い
っきり食べて、翌日の戦場に臨み、潔く討ち死にしました。
こんな小説を読んだことがあります。
白米飯と言うものは、命に代えても、惜しくないものだったのですね。
振り返って、今の日本を見て見ると、五穀米どころか、十六穀米などと言うものが出回っていま
す。
命を繋ぐ食べ物ではなくて、健康食品、美容食品としてです。
平和な日本と言うのでしょうか。
豊穣祈願して食べます。
五穀:米、麦、粟、豆、キビ。
今では、テルボムだけではなく、日常の祝い事の時とか、来客の接待など、めでたい時の食事とされてお
ります。
今でこそ、米は、ありふれた主食になりましたが、一昔前の韓国では、日本もそうであったのでしたが、
米どころか、雑穀でさえ、十分な量を確保することが困難な時代でした。
とにかく、腹を満たせるだけの食料を確保するのが、難しかったのでした。
朝、散歩に出て、隣人と顔を合わせた時の挨拶は、
「アチム シクサ ハショスミカ?」
アチム:朝、シクサ:食事、ハショスミカ?:なさいましたか?
「朝の食事は、すまされましたか?」です。
お元気ですか?、ご機嫌いかがですか?、ではありません。
朝、食べられたか、食べられないかを、相手を思いやってかけてやる言葉です。
これに対して、食べていても、食べていなくても、返事は、
「イェ モゴッソヨ」 と答えます。イェ:はい モゴッソヨ 食べました
若し、正直に、食べていませんと答えたら、相手は、必ず、それでは、私の家で食べましょうか
と言われるらです。
日本の戦国時代、地方の城主が、信長の手勢に^攻め込まれて、交戦していましたが、遂にどう
しようもなくなって、落城の晩に、女子供を自害させて、落ち延びていき来ました。
追われながら逃げ延びるのですが、どうしようもなくなって、最後の晩、ありったけの白米を炊
いて、兵士に食べさせるのでした。
兵士たちは、今まで食べたこともない白米飯をみせられて、いよいよ最後だなと自覚して、思い
っきり食べて、翌日の戦場に臨み、潔く討ち死にしました。
こんな小説を読んだことがあります。
白米飯と言うものは、命に代えても、惜しくないものだったのですね。
振り返って、今の日本を見て見ると、五穀米どころか、十六穀米などと言うものが出回っていま
す。
命を繋ぐ食べ物ではなくて、健康食品、美容食品としてです。
平和な日本と言うのでしょうか。