今回はボチの変遷などを考えてみました。ぶらっと神社歩きで見て回った成果?です。(その割に日吉神社が多いようですが。)
芳賀(はが)神社境内社・三峯神社(栗崎町1677)
大黒と恵比寿が別々
はじめは、手造りだったのでしょうが、今見られるボチは、古そうなものでも、型に入れて成形しているようです。赤っぽい素焼きで素朴な形といっていいのでしょう。
(上)日吉神社(酒門町 36°20'32.2"N 140°29'32.8"Eあたり)
(下)日吉神社(酒門町 36°20'32.2"N 140°29'32.8"Eあたり)
大黒と恵比寿が別々で、彩色や土質変え
野ざらしで、彩色が少し残っているだけのものがほとんどですが、これが素焼きの次の形のようです((上)日吉神社など)。そしてさらに、土質を変えたりして、きれいになっていったようです((下)酒門町日吉神社)。今神社で見られるボチは、ここまでのものがほとんどのようです。
日吉神社(東野町545)
大黒と恵比寿が一体化
その後、大黒と恵比寿を一体化するようになり、大黒が小判を出すような姿になるようです。もちろん、旧来の形のボチも続いて作られていたでしょうが。
白幡神社(小林町 36°21'22.4"N 140°20'56.1"Eあたり)
大黒や恵比寿と干支(えと)
大黒や恵比寿と干支とを組み合わせるスタイルも出てくるようです。毎年抜き型が変わりますので、ポチ屋さんは大変だったでしょうし、値段も上がったことでしょう。
日吉神社(東野町545)
七福神
大黒と恵比寿を含む、七福神が船に並ぶという大きなボチもあったようです。
吉田神社(堀町36)
日吉神社(酒門町 36°20'32.2"N 140°29'32.8"Eあたり)
大黒や恵比寿以外
布袋(ほてい 堀町吉田神社)や招き猫(酒門町日吉神社)といった縁起物としてのボチも作られていたようです。布袋が小判を持ったボチもありました。