未来に向かう。物事を最後に決めるのは天、それでも望んでしまう…

2011-08-21 20:39:33 | 日記風
 ことのところ、BSばかりを見ているせいか、外国の風景を見ていることが多いのです。

 そこでよく出会うのが、童話作家のアンデルセン。

 この人も苦労して、上がって行った人だからね。思う所はたくさんあります。

 でもさすがにここまでアンデルセン、アンデルセンとぶつかるとさすがに嫌になってきてしまいます。


 

 話は突然変わりますが東京は急に寒くなりました。

 暑いよりはいいのですが…それもまた寂しい感じです。



 秋の気配が近づいてきているのでしょうかね。

 でも残暑は残るようなことは、聞いた気がするのですが…。



 今これからのことを考えなければならない時期に来ています。
 最後は行動力です。

 人間は放り出されて、誰も助けてくれない所から這い上がって行かないことにはどうにもならないのかもしれませんね。

 そんなことを思います。


 さて、這いあがれるのか。


 這い上がるしかないです。




 私はこんな話が好きです。

 愛のシッタカブッタ という4コマ漫画です。(作:小泉吉宏 刊:メディアファクトリー)
 全部ばらすとまずいのかもしれませんが、電車の広告に載ってました。

 シッタカブッタが美味しいものが食べたいと違う世界をめがけて海に出て行くのですが、荒波に飲まれ、あまりにつらくて、もうダメだと思った時にある島に辿りつくんですね。
 そこにはシッタカブッタが望んだものではなかったけど、違う美味しいものがあった。

 そういう話なのですね。


 求めても求めても最後手に入るものは自分の望んだこととは違うかもしれない。
 でもそれが頑張った結果、与えられたことなら、それを受ければいい、それだけの話です。

 心を柔らかくしてくれる話です。



 と、アンデルセンとは遠い所に来てしまいましたが、どちらも共通して言えるのは、アンデルセンも当初の夢は破れたけれど、きちんと自分に相応しいものに出会って成功を収めた、その点では、シッタカブッタと同じだと思うのです。


 私に待っている未来とは、なんでしょう。望むままのものなのか。それとはどこか違うけど、私を幸せに導いてくれるものなのか。

 それをこれから見に未来に向かうのでしょうかね。

この性格を好転させる方法を考えたいよ

2011-08-21 13:00:00 | 日記風
 私はしつこい。自分でも驚くが、いったん始めると時間がかかってもやり続ける。

 1度抱いた恨みもそう簡単には忘れないだろう。
 子々孫々まで祟るタイプだろう。



 自慢にならん…。


 結局、格安空港券とホテルを探して一晩を過ごした。


 もう気が狂いそうだ。

 お陰でパリの地域は覚えたように思う。

 思いがけない副産物だった。


 まだ続ける気だろうか?

 でももう寝る。その内勝手に眠ってるかもしれない。


 でも起きたらまたは始めるかもしれない。


 始めそうな気がする…。

 うん、しつこいね。

私のオペラがルニエが…

2011-08-21 08:00:00 | 日記風
 どうしよう、1日PCの前にいちゃった。

 パリのオペラがルニエのチケットがとれたって連絡がきたわけよ。
 それが決まってから旅行コースを決めようと思っていたら、


 ちょっとあなた、まだ9月は客がいっぱいよ。遅めの夏休みをとる人がいるのかしら?

 当てにしていたコースは満員で、もう1つは出発予定が公演の前後にない。


 うーーん、どうしようと、1回は気にいらないけどオペラがルニエの公演に合わせてツアーに申し込んだの。

 でも気が乗らないのよ。


 元々、これかこれって決めてたから、しょうがないのね。それに多分いろんな意味で都合がよくなるのは10月。

 だったらってとったツアーを一旦キャンセルして、格安チケットと格安ホテルを申し込んで3泊…行き返りもいれたいくらい…で探すけど、そこそこの値段になっちゃうんだな。

 今回のオペラがルニエのバレエチケットを捨ててもう1度10月に当たる手はある、そっちの方が公演としては長いからよくない席でも安い所が見つかると思う。

 でも人手を煩わせて…しかも国を越えて…申し訳ないような気がして、なんかぐちゃちゃやってたら、張り付いてることになっちゃった、と。

 さすがに疲れたよ。


 パリはやっぱり遠いよ。

 もっと近くして。

 そしてもっと安くして。

「生きてるだけでなんくるないさ」にやられる

2011-08-21 00:07:13 | ドラマ/映画/ドキュメンタリー
 私はこういう実話ものって本当は好きじゃないですね。
 でも見てしまう、不思議さがある。

 昔、そういう実話もんを見て大きく影響をされた。
 だからあっちこっちに病気で頑張だったけど頑張りましたって話を聞いてしまうと、戸惑ってしまうというかね。

 どう解釈したらいいか判らなくなる。

 でも闘病記がコーナーができるほどあるのは、実際に病気になった方がその間の気持ち、治療法を公開することで、他の同じ病気に遭った人に、いろいろな情報を与えることになるから、わざわざ探して、読むケースもあるそうだ。

  
 だからタイトルをつける時、これはどんな病気になった人の記録っていうのをタイトルに盛り込んでほしいそうだ。
 じゃないと折角自分や患者のためになる本があっても目に入らないんだって。


 私にもいろいろあるせいか。こういうのは刺さってしまう。

 って、ずっと見てたわけでもないだけどさ。



 でも記憶は呼びさまされる。過去の投稿に何度となく出てくる話ではあるんだけど、私は小学生の頃に交通事故にあった。3か月入院したから重たい方だったらしい。本人はそういう細かいことを判らないし、記憶も手術前日とか、事故から目覚めた時などの記憶しかない。

 私が長い間旅行嫌いだったのは、この病院に否応なく事故で入院させられて親からも家からも引き離されたことがあるからだったと思っている。

 しかしあれは私のその後の人生を大きく変えた出来事であった。
 私は五体満足だった。そして事故に遭うことがどれほどのことか、その事故の重みがどれほどのことか理解できないほど幼かった。
 あとから親に聞かされて全貌を知って行くことになるのだ。

 しかし五体満足だったんだよ。

 入院してると小児科になるじゃない。だから自分と大して年の違がない子が事故で入院してたりするわだ。

 その子は片足を膝から下を切断してたんだよ。あの頃の医療としてはそれが最高の処置だったんだ。
 
 (私でさえ、当時1500万の最新の手術を受けてるけどね。母は退院してからも発作に襲われる私を抱え、話を通してある近くの病院に何度も飛び込んだそうだ)

 でも五体満足だった。

 だからこうして好きな所へ悩みながらもいける。

 それを思い出すと何もかも贅沢のような気がする。


 まあ、異常にホジティブシンキングの私は、子どもの頃から私は「1500万の女」と開き直っていますけど(思えるようになったのは大人になったある時期からね。後遺症っていうのがあったから、それはそれで長い間私を悩ませ、心を閉ざさせていたと思う)

 でも五体満足でいられることは…本当にありがったと思ってる。本人の苦労、周囲の苦労を考えると、それは言葉では言い表せられない。



 私は現実から逃れたくて外国へ行くこともあるけど、それもままならない、した所で、行った先でまた姿を見られれば、「彼女は可哀想だわ…」となってしまって、それが心を傷つけることがあるらしいんですね。例え善意から出ていたとしても、やはりそこに触れられることは心の傷を何度となくえぐられることらしい。

 それを思ったら今抱いてる争いなど物の数ではないな、と。

 いくらでも未来が見られる、簡単に実現させることができる立場にいるんだもん。


 今、細々ながら原稿を書かせていただけることを考えても、贅沢はいったらあかんと思う。


 でも懲りないのが人間というもので、1500万の手術を受けながら、翌年また轢かれたどうしようもなく凄い奴が私なのです。

 あほかもしれないですね。懲りるという言葉がない。

 しかし懲りないから(軽傷でしたからね)なにか得られるものがあるんじゃないかという…。
 2度もぶつかる根性はどんなことにでも太刀打ちしていけるのじゃないかと…。


 性格なんて治らないです。3度目がないだけも奇跡です。



 と、また最後は異常なポジティブシンキング力を出すことになるのだ。