死海で今も人は浮いているのか

2011-08-31 21:38:27 | 日記風
 どっかで聞いたのよ。
 死海人がが浮かなくなってる、みたいな話。

 泥パックなどで有名でしょう。
 死海の塩とかね。


 ってことで調べてみました。

 イスラエルあたりにあると思っていただければいいです。まあ、湖なのであちこちにかかわってはいます。でも水源はヨルダン川です。

 なんで人が浮くのか。

 海へ流れ出る出口がないのね。降水量は少ないし、気温も夏が32℃~39℃、冬でも20℃~23℃と高いのよ。

 そうすると水が蒸発するより水分の供給量が上回る状態になっちゃって塩が溜まっちゃう。高い濃度の塩が出来上がり、浮いてしまうという現象が生じるらしいです。一般が3%なら死海は30%の濃度があるそうだ。


死海って言われちゃうのは、魚類は生息できないからなのね。そりゃそんなに塩分濃度が高ければ難しいよね。
でも湧き水がある一か所にはいるみたいですよ。


でも確かに20世紀中か頃から、湖面の低下が始まっているそうです。

ここら辺からそんな話が伝わり、浮かないになってるのかな。



 もう10年以上前になりますが、日本の石川県の鳴き砂のある所へ行きたいと言ったら、現地の人に一言
「もう鳴かなくなってる」
 と言われたのと同じ感覚かしら。

 踏み過ぎでさすがに砂がつかれたらしい。


 観光地ならではの悩みですかね。


 行かれた方の体験記を読むと、塩が辛いというより痛いらしい。そりゃ濃いものね。
 身体にまとわりついて塩が離れない。

 でもパックになるくらいだからね。


 でも行かれる方もいるだなと思うと、私なんか世界を知らないと改めて思うわけだ。

ずうっと書いている

2011-08-31 15:00:00 | 日記風
 暇があれば最近ずうっと書いている。

 よくも飽きないものだと思うけど、好きなんだろうね。そんな違和感はない。

 しかし身体に違和感はあるようだ。


 やはり適度な運動が必要だね。

 作家が急逝する理由の1つにこれはあげられる。
 ろくに散歩程度の運動もしないで原稿を書いているからだという。


 だが1度書き始めると止まれない。
 〆切が多くある作家ほどそうなるんだろうね。



 私には縁のない話だけど。


 今の所。


 書いたら動け、動いたら書け。

 そんな標語を作りたいほどだ。


 でも書いてる時はずっと書いちゃうんだよね。そしてしまいにはPCで遊び始める。



 凄い悪循環。


 気をつけて向かい合って行きたいものだけど、こういうのもバランスだから、なかなかうまくいかないのね。

神秘なものが来るのかね~

2011-08-31 13:00:00 | 日記風
 台風が明日に向けて上陸って言ってますね。

 折角の9月1日なのにね。私も歯科だわ。この間もちょうど雷が鳴ってる真っ最中に予約で、体調不良で日を変えてもらったら台風とぶつかるらしいわ。



 また変えてもらおうかしら。

 近所なんだけどね。


 アメリカはアイリーンというハリケーンに見舞われたけどその時間、出産ラッシュが起きたらしい。
 関係あるらしいんですよ。低気圧がどうたらこうたらっていうのと。

 なにがどう影響する代わりませんね。



 満月の夜は血の気多く交通事故が多いとかいいますものね。


 そういう自然現象と何か関係あるのでしょうかね。


 できれば避けたいですけどね、そういう時って。

 そういうときを目がけてくる。



 人が生まれるってそれくらいの何かがあるんだと思う。人が増える、減る、必ず何かがある。

 だったら自然の影響もあるのかもしれない。


 私にも何かいい影響があればいいと思うけどな。
 なにかあるだろうか。

それだけ考えろ

2011-08-31 10:51:30 | 日記風
 まー、長いgoo様のメンテナンス時間。

 新宿へ出たのでハッピンスが食べられるアイスベリーへ行こうと思ったが時間が合わないではないか。

 ということで、取り止め~。



 そんなこと言ってる内に8月もラストとなりました。


 早いですか。


 夏なんて感じてる間なかったよ。今、ああ、夏が終わるんだなってやっと感じてる。

 それほどなんかあったんだね。


 それもいつかはいい思い出さ。


 いろんなことを忘れてく。終わっていくと言うべきかね。

 もう目はまっすぐ秋を向いてるよ。

 新内閣も始まったらしい。



 仕事で変な寝方したから少し休みたい。


 今年はほとんど向日葵見てないです。この間、道端で、向日葵の後姿だけ見ました。
 それもまた珍しい年です。


 とにかく新しい話を書こう。今はそれだけ考えてればいい。

出直し旅の2011年秋…になりそう

2011-08-31 00:03:16 | 日記風
 私、ある人から年単位で騙されていた。
 騙されてというと、語弊があるかもしれない。ただ理想だけ見ていた。その人の口先の上手さに誤魔化されていた。

 それが他人が入ってきて、いろいろな実情を教えられて「なんだ」となったわけだ。

 勝手に理想を見て、それに気づくのに長ーい時間がかかったという方が正解かもしれない。


 でも驚くような話をしてたよ。食べられなくてなにをしたとか。
 どう言う血筋だとか、こっちの想像を常に越えることを言っていた。

 時代ということもあって、やっていたこともある。食べられなくて…なんて話は、血を売ったとか髪を売ったとか、そういうことだったんだけど、60年代を青春として生きた人ならよくあったことじゃないかなと思う。(よくでもないか、一部の人々の間では、かもしれない)

 今は血を売るというより献血で、そこでアイスやパンやそういうものを食べ放題、ゲームし放題に変わったと聞くけどね。それでも困ってる場合は、それなりにしのげる状態なのかな。

 どう言う血筋かは、いろいろ差しさわりがあるから、書けません。


 でもその人が言ってた。

 知ってる人の子どもが、その知ってる人(子どもにとっては母親ね)の目の前で飛び降りた、と。
 母親はショックだ。立ち直れないくらいのショックだと思う。


 でもそれを聞いてもあんまり「酷いっ」と思えない私がいたりするの。


 私が中学生の頃、やはり同級生が母親と喧嘩になって、目の前で飛び降りて亡くなったから。そういうのを聞いてると、あることなんだなと思ってしまうのだ。

 その当時は飛び降りられた母親の気持ちなんて考えなかったけど、そのお母様もどうなさっているのだろう。
 手をかけて育てた娘にそんな真似をされたら、たまったもんじゃないだろうし、心がバラバラになるだろう。

 今は飛び降りた少女の心理と母親の心理と両方見える。


 これも私が年を取ったということか。

 少しは人間として利口になったということか。


 判らないが…。