もしかしたら、貴重な勉強をさせていただいたかもしれない。
何かあった時、最後に頼りになるのは自分。私が元々自分で決めないと気が済まない性格だ、というのも大きいが他人を頼って他人が解決すると本人にとっては必ずしも最善の答えにはならないと思う。
それでも自分でするよりお任せしたい方にとってはそれでも文句はないのかもしれない。(あってもとりあえず押さえることになるだろう)
ただ自分で決める、自分を最大の頼りにすると言っても、気持ちが決まるまで、その起こっていることの全貌をきちんと判っていないと、出せるものではない。
そういう意味では時間がかかるのね。
でも不思議なのは、わりと悩み直面して、こういう悩みがあるのよと言う話をした時、何故か人は、自分もこんな同じ苦しみを味あったという話をしてくれる。
本当に苦しい時、それを聞かされても冷静さが消えているから、右から左に聞き流したいし、もしくは更にこちらを苦しめるだけの結果にしかならない。
だから私は言わないな。
ただ聞いてあげるだけ、になってるかもしれない。
相談する方も全て本当のことを言ってるわけではないし(多分いろいろな事情が絡むから本当のことをすべて言うことはできないと思う、それぞれ同じような悩みにあったと言っても背景、細かい事情は絶対違うわけだ。
だから同じような経験をした経験があるだけで、苦しんでいる人にその話をしても「だから?」でしかない。
他に自分より苦しい人がいるというのは想像がつくよ。
だって五輪使って失踪した人たちは、国に返っても将来がないと思っているほど苦しいということだろう。
実際、イスラムの国に行って凄くよく判ったけど、あれほど女性の地位が未だ低い国はない。
日本も無言のうちの男女差はあるけど、とりあえず、自由に外出できる。職業も選択できる。親のいいなりで牛1頭と交換で13歳になるかならないで結婚しなくていい。
こういう事情と比べてみたら、悩んでるんなんて言ってはいけないと思う。
たまたまこれを書いている時後ろでテレビが、
冒険家が言う飢えと苦しみを説明したところで、したことのない人には絶対判らない
と言っていたけど、そうなんだろうなと思う。
唯一与えられる休息は「死」って言ってるもん。
普通の社会にいる限り、飢えにあうこと自体がまずない。本当に少数の例だと思う。
ここは生命の維持に関わるわけだから、恋が破れた、親が死んだより、もっと大きな問題かもしれない。
(あくまで私が出しているのは例でしか、ない)
「死」が休息になるのか、冒険家って。
話がズレるけど。
あまり耳に残っちゃったから。
そして同じ内容は2人の人にはしないこと。
この2人が知り合いであろうとなかろうと、2人に言ったら絶対違う答えが返ってくる。
これは不思議なことに、そうだ。
そして振り回されかねないということになる。
最後は人ごとだから、ここまでは付き合えるけど、という結論にもなり兼ねない。
1つのことは1人の人に相談し、自分で考えるしか、ないんだろうなと思う。
あの人にも相談してみれば?という場合、自分1人が責任を負いたくないという気持ちが無いとは言えない。人のことだからそこまで責任持てないから分散したいという思いがないわけじゃない。
それに違うアドバイスが来れば、自然相談してる方は混乱するし、混乱して乱れれば、どちらにも感謝はなくなる。
相談して、した相手のアドバイスが有難迷惑という答えにもなり兼ねない。
難しのね~。
こういうところうまく渡るのが、世渡りというのかもしれない。
世渡り下手だ。
何かあった時、最後に頼りになるのは自分。私が元々自分で決めないと気が済まない性格だ、というのも大きいが他人を頼って他人が解決すると本人にとっては必ずしも最善の答えにはならないと思う。
それでも自分でするよりお任せしたい方にとってはそれでも文句はないのかもしれない。(あってもとりあえず押さえることになるだろう)
ただ自分で決める、自分を最大の頼りにすると言っても、気持ちが決まるまで、その起こっていることの全貌をきちんと判っていないと、出せるものではない。
そういう意味では時間がかかるのね。
でも不思議なのは、わりと悩み直面して、こういう悩みがあるのよと言う話をした時、何故か人は、自分もこんな同じ苦しみを味あったという話をしてくれる。
本当に苦しい時、それを聞かされても冷静さが消えているから、右から左に聞き流したいし、もしくは更にこちらを苦しめるだけの結果にしかならない。
だから私は言わないな。
ただ聞いてあげるだけ、になってるかもしれない。
相談する方も全て本当のことを言ってるわけではないし(多分いろいろな事情が絡むから本当のことをすべて言うことはできないと思う、それぞれ同じような悩みにあったと言っても背景、細かい事情は絶対違うわけだ。
だから同じような経験をした経験があるだけで、苦しんでいる人にその話をしても「だから?」でしかない。
他に自分より苦しい人がいるというのは想像がつくよ。
だって五輪使って失踪した人たちは、国に返っても将来がないと思っているほど苦しいということだろう。
実際、イスラムの国に行って凄くよく判ったけど、あれほど女性の地位が未だ低い国はない。
日本も無言のうちの男女差はあるけど、とりあえず、自由に外出できる。職業も選択できる。親のいいなりで牛1頭と交換で13歳になるかならないで結婚しなくていい。
こういう事情と比べてみたら、悩んでるんなんて言ってはいけないと思う。
たまたまこれを書いている時後ろでテレビが、
冒険家が言う飢えと苦しみを説明したところで、したことのない人には絶対判らない
と言っていたけど、そうなんだろうなと思う。
唯一与えられる休息は「死」って言ってるもん。
普通の社会にいる限り、飢えにあうこと自体がまずない。本当に少数の例だと思う。
ここは生命の維持に関わるわけだから、恋が破れた、親が死んだより、もっと大きな問題かもしれない。
(あくまで私が出しているのは例でしか、ない)
「死」が休息になるのか、冒険家って。
話がズレるけど。
あまり耳に残っちゃったから。
そして同じ内容は2人の人にはしないこと。
この2人が知り合いであろうとなかろうと、2人に言ったら絶対違う答えが返ってくる。
これは不思議なことに、そうだ。
そして振り回されかねないということになる。
最後は人ごとだから、ここまでは付き合えるけど、という結論にもなり兼ねない。
1つのことは1人の人に相談し、自分で考えるしか、ないんだろうなと思う。
あの人にも相談してみれば?という場合、自分1人が責任を負いたくないという気持ちが無いとは言えない。人のことだからそこまで責任持てないから分散したいという思いがないわけじゃない。
それに違うアドバイスが来れば、自然相談してる方は混乱するし、混乱して乱れれば、どちらにも感謝はなくなる。
相談して、した相手のアドバイスが有難迷惑という答えにもなり兼ねない。
難しのね~。
こういうところうまく渡るのが、世渡りというのかもしれない。
世渡り下手だ。