ミイラと言えば、エジプト。
それが強いと思う。
しかし、チリ北部のアタカマ砂漠から古代のミイラが発見された。
ここは世界でも最も乾燥した砂漠だったため、エジプトよりいい状態で見つかっている。
皮膚、頭髪、衣類も出たそうだ。
エジプトは頭髪が残っていても、おーって状態だものね。
チリに栄えたチンチョーロ文化のもののようだ。
チンチョーロ文化はチリ北部~ペルー南部の沿岸部で狩猟採集生活を送っていたと見られる。しかもミイラ作りが始まったのは紀元前5050年頃でエジプトより早い。
探せばあちこち、古代文明が存在しているもんだわね~。
ただ、何故ミイラを作っていたのか、死者崇拝が行われていたのかは謎なのだ。
チリ・カトリック大学の考古学者のマルケ氏によると、7000年前から始まっていたのではないかと言われる。
布巾のアンデス山脈の降水量がこの頃増えたのだ。
水があれば、魚、貝、アザラシの獲物を得られる。資源が豊かになれば生活にも余裕ができる。人口も増える。技術も進化する。
その技術の進化の1つがミイラ作りになった。
しかし、エジプトのように死者が甦るという感覚ではなく、ミイラの作り方も、内臓を取り出して、腐敗をしないようにする…という者ではなく、人体の再造形だったようだ。
内臓は取り除くが、骨も洗っちゃう。補強もしちゃう。体内には土屋ヨシというものを詰めて参加マンガンを混ぜた灰色(のちに黒、赤へ変化していくが、立場によって違うのか、黒がなくなったから赤になったのか、その辺も不明である)
頑丈である必要があったのは、葬儀でミイラを連れて練り歩いていたかららしい。そしてそのあと展示をした。
墓場に納める感覚ではなかったらしい。
補強も行われた。移動に耐えられるミイラでないといけないからだ。
何のためのミイラだったのだ?
特に王族だけでなく一般人、年齢も地位も関係なく胎児さえもミイラにされていたらしい。
約4000年前、ミイラ制作は終わりを告げる。
エルニーニョが起き気候が変わったためそれまでの生活を維持できなくなったのではないかと言われている。
亡くなって、消えてしまうことを考えれば、話さなくてもいい。その姿が側にあるだけで嬉しい。そんな感覚で始まったのかな。
特に魂を尊ぶ習慣もなかったらしいしね。
…と言いつつ、チンチョーロ文化の全貌が判っているかと言えば、判ってないんだけどね。
それが強いと思う。
しかし、チリ北部のアタカマ砂漠から古代のミイラが発見された。
ここは世界でも最も乾燥した砂漠だったため、エジプトよりいい状態で見つかっている。
皮膚、頭髪、衣類も出たそうだ。
エジプトは頭髪が残っていても、おーって状態だものね。
チリに栄えたチンチョーロ文化のもののようだ。
チンチョーロ文化はチリ北部~ペルー南部の沿岸部で狩猟採集生活を送っていたと見られる。しかもミイラ作りが始まったのは紀元前5050年頃でエジプトより早い。
探せばあちこち、古代文明が存在しているもんだわね~。
ただ、何故ミイラを作っていたのか、死者崇拝が行われていたのかは謎なのだ。
チリ・カトリック大学の考古学者のマルケ氏によると、7000年前から始まっていたのではないかと言われる。
布巾のアンデス山脈の降水量がこの頃増えたのだ。
水があれば、魚、貝、アザラシの獲物を得られる。資源が豊かになれば生活にも余裕ができる。人口も増える。技術も進化する。
その技術の進化の1つがミイラ作りになった。
しかし、エジプトのように死者が甦るという感覚ではなく、ミイラの作り方も、内臓を取り出して、腐敗をしないようにする…という者ではなく、人体の再造形だったようだ。
内臓は取り除くが、骨も洗っちゃう。補強もしちゃう。体内には土屋ヨシというものを詰めて参加マンガンを混ぜた灰色(のちに黒、赤へ変化していくが、立場によって違うのか、黒がなくなったから赤になったのか、その辺も不明である)
頑丈である必要があったのは、葬儀でミイラを連れて練り歩いていたかららしい。そしてそのあと展示をした。
墓場に納める感覚ではなかったらしい。
補強も行われた。移動に耐えられるミイラでないといけないからだ。
何のためのミイラだったのだ?
特に王族だけでなく一般人、年齢も地位も関係なく胎児さえもミイラにされていたらしい。
約4000年前、ミイラ制作は終わりを告げる。
エルニーニョが起き気候が変わったためそれまでの生活を維持できなくなったのではないかと言われている。
亡くなって、消えてしまうことを考えれば、話さなくてもいい。その姿が側にあるだけで嬉しい。そんな感覚で始まったのかな。
特に魂を尊ぶ習慣もなかったらしいしね。
…と言いつつ、チンチョーロ文化の全貌が判っているかと言えば、判ってないんだけどね。