今、敢えて結婚を望まない女性が増えている。
厚生省の調べらしいが、初婚年齢も30歳となってきている。
結婚=子どもという発想が結婚に付きまとうらしい。そして自分の母親世代と同じに仕事をしながら子育てをできるか?それを難しいと考える女性が増えている。
同じく男性の意見として厚生省調べて、専業主婦をしてほしいと思っていない。子どもを産んでも働いてほしい男性が増えている。
その代わり、全体の2割くらいの割合で家事も手伝ってくれるらしい。
結婚観が変わったと言えばそれまでだ。
かくゆう私も、子どもが嫌い。
勝手に生きられる独身の方がいいと思っていた口だ。
でも結婚を望まない女性は30代、40代の女性たちだ。
いっそのこと、50代の女性に聞いてほしいと思う。未婚で50代を迎えた女性にだ。
20代~40代、ここまでなら、まだ仕事を持っていてそれにやりがいを感じていれば、望まない気持ちは凄く判る。
個人差によるが、ある状態が起きると、それまでの考え方は180℃変わるだろうと私は思う。
つまり、親が倒れる。自分が病気になり、収入が得られなくなり、社会からも必要とされているかどうか判らなくなった時だ。
正直、親が倒れてみて、人生観、世界観、仕事観も全て変わった。
結婚して夫がいれば、どうにかなるものかどうか、まして婚家の両親が倒れたら、嫁としてどういうことをしなければならないから、そこの所は判らない。
でも必ず、自分の親が倒れるときは来る。
これも数カ月で、親の死という形で終わるのか、数年かかった状態で精神的に追い詰められていくのか、人によって事情は違う。
このとき1人でも仕事に生きがいを持ち、敢えて、親の面倒を見られるというだろうか?
兄弟姉妹がいても考えが違う。結婚をしている者がいればその相手の考えも入るから話がややこしくなるんじゃないだろうか。
同じ兄弟姉妹がいても親の面倒をみたい子どもと、できれば避けたい子どもがでる。
却ってややこしいことになる。
これが夫があり、受験を控えた子どもがいたりしたら、もっと負担かもしれない。
けれど、自分だけで背負っていかなくていい。
結婚をしないということは自分の時間を自分のためにフルに使えるということだ。
それが仕事に当てられる、そういうことじゃないだろうか。
けれど、どんな形でも家族の問題が入ってくれば、事情はまるで違ってくる。
違ってきた。
そして思うのだ。
どんなに仕事をして成功しても、例え自社ビルを建てられるくらいになっても、引退した途端、それは何の意味もなくなるのではないか。
だって自社ビル建てても代替わりしたら人の見る目は変わってくるよ。
そして自社ビル建てるほど頑張ったと言っても、自社ビル背負って歩ける?
人を相手にしてるもので、私はここまでやったと、いつまでも形に残るものはないのだ。
確実に残るものがあるとすれば、子どもなのかもしれない。
実際、病を持ってから、親が私を見る目が変わった。
それまでも違ったのかもしれない。
それを表現してこなかっただけかもしれない。
はっきり表現するようになったのはあっちも病気になり、何かを悟ったからかもしれない。
こっちは親は仕事に生きてると思っていたのに、突然、大事な子ども扱いされて、戸惑うだけだけどね。
人生観、世界観、全て変えられて悩みだしただけだけどね。
これも私の1つの転機だと思っている。
そう思うしかないもの。
けれど、その子どもを持てるかどうか難しい時代になっていることも確かだ。
子どもじゃなくてもいいかもしれない。
自分の中で、これは…と思える確実なものがあれば、結婚するもしないのもどちらでもいいのかもしれない。
時代という流れに流されるしかないのかもしれない。
厚生省の調べらしいが、初婚年齢も30歳となってきている。
結婚=子どもという発想が結婚に付きまとうらしい。そして自分の母親世代と同じに仕事をしながら子育てをできるか?それを難しいと考える女性が増えている。
同じく男性の意見として厚生省調べて、専業主婦をしてほしいと思っていない。子どもを産んでも働いてほしい男性が増えている。
その代わり、全体の2割くらいの割合で家事も手伝ってくれるらしい。
結婚観が変わったと言えばそれまでだ。
かくゆう私も、子どもが嫌い。
勝手に生きられる独身の方がいいと思っていた口だ。
でも結婚を望まない女性は30代、40代の女性たちだ。
いっそのこと、50代の女性に聞いてほしいと思う。未婚で50代を迎えた女性にだ。
20代~40代、ここまでなら、まだ仕事を持っていてそれにやりがいを感じていれば、望まない気持ちは凄く判る。
個人差によるが、ある状態が起きると、それまでの考え方は180℃変わるだろうと私は思う。
つまり、親が倒れる。自分が病気になり、収入が得られなくなり、社会からも必要とされているかどうか判らなくなった時だ。
正直、親が倒れてみて、人生観、世界観、仕事観も全て変わった。
結婚して夫がいれば、どうにかなるものかどうか、まして婚家の両親が倒れたら、嫁としてどういうことをしなければならないから、そこの所は判らない。
でも必ず、自分の親が倒れるときは来る。
これも数カ月で、親の死という形で終わるのか、数年かかった状態で精神的に追い詰められていくのか、人によって事情は違う。
このとき1人でも仕事に生きがいを持ち、敢えて、親の面倒を見られるというだろうか?
兄弟姉妹がいても考えが違う。結婚をしている者がいればその相手の考えも入るから話がややこしくなるんじゃないだろうか。
同じ兄弟姉妹がいても親の面倒をみたい子どもと、できれば避けたい子どもがでる。
却ってややこしいことになる。
これが夫があり、受験を控えた子どもがいたりしたら、もっと負担かもしれない。
けれど、自分だけで背負っていかなくていい。
結婚をしないということは自分の時間を自分のためにフルに使えるということだ。
それが仕事に当てられる、そういうことじゃないだろうか。
けれど、どんな形でも家族の問題が入ってくれば、事情はまるで違ってくる。
違ってきた。
そして思うのだ。
どんなに仕事をして成功しても、例え自社ビルを建てられるくらいになっても、引退した途端、それは何の意味もなくなるのではないか。
だって自社ビル建てても代替わりしたら人の見る目は変わってくるよ。
そして自社ビル建てるほど頑張ったと言っても、自社ビル背負って歩ける?
人を相手にしてるもので、私はここまでやったと、いつまでも形に残るものはないのだ。
確実に残るものがあるとすれば、子どもなのかもしれない。
実際、病を持ってから、親が私を見る目が変わった。
それまでも違ったのかもしれない。
それを表現してこなかっただけかもしれない。
はっきり表現するようになったのはあっちも病気になり、何かを悟ったからかもしれない。
こっちは親は仕事に生きてると思っていたのに、突然、大事な子ども扱いされて、戸惑うだけだけどね。
人生観、世界観、全て変えられて悩みだしただけだけどね。
これも私の1つの転機だと思っている。
そう思うしかないもの。
けれど、その子どもを持てるかどうか難しい時代になっていることも確かだ。
子どもじゃなくてもいいかもしれない。
自分の中で、これは…と思える確実なものがあれば、結婚するもしないのもどちらでもいいのかもしれない。
時代という流れに流されるしかないのかもしれない。