そんな経ってるんだ。
以前の日本ならもう時効だよ。
今は日本も時効はないし、あちらは最初から時効はない。捜査は未だ続いている。
その結果、いろいろなことが判って来た。
テレビの番組で放送していたんだけど、本国制作ね。(番組では15年と言っていたので2011年の政策かもしれない)吹き替えしてくれてたんだけど、そうすうると名前を聞き流してしまって、いっそのこと字幕にしてくれれば、いちいちメモ取ったのに…という状態なので、一部、「ある男は」で通します。
コロラド州・ボルダーで当時6歳の少女。ジョンベネ・パトリシア・ラムジーが誘拐された末、殺害された。
自宅地下から変わり果てた姿で発見されたが、家族や友人が探して現場保存ができていなかったこと、警察の捜査に問題があったため、未だ事件は解決を見ない。
しかし、徐々に新たなことが判ってきている。
「ジョンベネ」の名前はあちらでも珍しいものだ。
父親のジョンを取り入れたい父親の希望があり、無理やりジョンベネという造語のような名前を作った。今でいうきらきらネームの一種だ。
当時から、内部犯行が囁かれ、兄のこと、父親の幼児性愛説、自分より若く夢を叶えることができるジョンベネを母親というより女として恨んで殺したと言われていた。
実際、母は元・ミスウェストバージニアだっただめ、娘をミス・アメリカにしたいという夢があったと言われる。
しかし6歳の娘に化粧をさせ、セクシーなダンスを踊らせ、子ども対象のビューティーペイジェント(美少女コンテスト)に出場させていることに事件のあと、非難が集まった。
あれは、メディアが、普通着のジョンベネの映像を流さず、美少女コンテストで飾り立てたジョンベネの姿を流したことが幼児性愛者という印象を植えつける役目を果たしてしまったそうだ。
そして夫妻に殺害の嫌疑がかかり、テレビ出演するが、その映像も彼らにとっては悪い印象を助長させてしまった。
母親のパトリシアは薬でも飲んでるかのようにぼぉとしているし、夫の顔をちらちら気にしている。
父親のジョンはやたらと下を向く。
専門家の意見を借りると、下を向くのは隠しごとがある特徴らしい。
パトリシアが早くからジョンベネを美少女コンテストに出したのは、パトリシアが病気だったからだという。
既に彼女はあの時、病を患っていた。それがなければ、ジョンベネが15歳くらい、ああいう化粧やコンテストに出るに相応しい年齢まで待っていたかもしれない。
しかし世間の注目は、両親、2歳上の当時8歳の兄に向いた。しまいにはジョンは依然の結婚によりできた子どもたちにも性的虐待を加えていたと言われた。
2000年にパトリシアは再びテレビに出て疑惑を否定している。
はっきり意見をいい、本来なら好感をもたれるはずの映像でさえ、パトリシアが疑惑を報じるマスコミを責めていつまでも犯人を捕まえられない警察を責めない、悲しみにくれ娘を亡くしたことを泣いて訴える母親の姿を見せないことから、視聴者の期待を大きく外してしまったことが原因で、再びパトリシアに対する疑惑を膨らます結果に終わった。
全てが悪い方に流れていく。
ジョンベネの殺害当時のことを振り返ってみよう。
彼女はクリスマスの翌日、地下室で殺されて発見される。
頭に打撲を負い、首は折れた鉛筆とひもを使って絞められていた。犯されたあともあった。
この遺体が見つかる前、母のパトリシアは階段に誘拐したという手紙を見つけている。
その額が少なく、ジョンが経営する会社のボーナスか何かと同じ金額だったことも夫妻に疑いがかかる一因となった。
これも専門家に言わせると、男性が文章をいい、女性が書いたものだという。
誤字が多いらしいが、これもストレス状態にあるからそうなったそうだ。
夫が言ったことを妻が書いた。そう取ることもできる。しかし、違う考えも成り立つ。
とにかく犯人は1人ではないということだ。
ジョンベネの遺体が発見された地下室に直接降りようと思えば、表に地下へ下りる溝のようなものがあり、そこは柵でふさがれていたが、警察はここは大人が通るには狭すぎると結論を出した。
しかし、後年、ここも調べる人物が通ってみたところ、大人の男性でも十分に通ることができた。
ここに足跡があることを事件を追う人物が発見する。
足跡は1つじゃない。
2人か、複数による犯行を示す足あとだった。
なにより事件の起きる前、不審なことが起きている。
クリスマスが近い頃開かれたコンテストでジョンベネが優勝しているが、ある女性が彼女をじっと見ている男性を見ている。
誰だろうと思い、聞くとその男はジョンベネの父親だと答えたという。
嘘である。
この人物が誰であったか、未だに判っていない。
クリスマス前、ラムジー家は2日間近所の人を招いてパーティーを開き家を公開している。
この間、1500人~2000人の人が訪れたという。
そして15室はある部屋を見せて回っている。
もしこのとき、ジョンベネを狙う幼児性愛者がいれば、十分、家の中の作りを知ることができた。犯行を練ることができた。
そして9年間、小康状態を保っていたパトリシアの病が再び悪化する。彼女は卵巣癌だった。
その頃、ある男の所へ、よく判らないメールが届くようになった。
ジョンベネに関するものだが、いたずらのようでもあり、中に暗号が隠されているようでもあった。わけの判らないメールだったことは確かだ。
男はダクシスと名乗る人物と捜査当局と話し合い、やり取りを続ける。
しかし、ダクシスの居所も判らず、何がいいたのかも判らない。
そして、メールが止まる。
それが、パトリシアの病気が悪化してから、再び届くようになる。しかも今度はパトリシアに謝罪をするようなメールになっていた。
その場に居合わせたのだろうか?
2006年パトリシアが亡くなる。
その後、メールがまたきて、根気よくメールのやり取りを続けていたダクシスから電話がかかってくることになった。
かけて来た先はタイのバンコク。
そうこの男こそ、1度は犯人と自ら名乗り逮捕されたジョン・マーク・カーだった。
しかし、この男のDNAを調べてもジョンベネに残っていた体液と一致しなかった。
カーは釈放される。
このあと、これと言った犯人らしき男は現れていない。新証拠も出てきていない。
しかし、1度もしかしたらという人物が事件が起きてすぐ、上がっていた。
捜査を担当している捜査官が
もう証拠はほどんど判った。お前をもうすぐ捕まえる
とテレビの前で話した時だ。
その翌日、ジョンベネの住んでいた地域で1人の男が自殺した。26歳の軽い犯罪歴のある男だった。
それも自分が撃ったとはしては不自然な方法で死んだ。
この男も体液を検査したが、ジョンベネに残っていたものとは違った。
この自殺当時、男とジョンベネ事件を結び付けて考える捜査員は誰もいなかった。
後年の調べにより、彼は何らかの形で事件の真相を知っていたのではないと言われている。
しかし今となってはあとの祭りだ。
これを書きながら私は1つの事件を思い出した。
昭和の時代に起きた、府中刑務所脇で3億円が盗まれた事件だ。当時としては大金が1人の男によって盗まれたのだ。日本列島を騒がす事件だった。
あの時、犯人と思しき人物が挙げられていた。当時札付きの不良だった少年だ。が、警官の息子だった。警察は身内意識で働き踏み切れず、もたもたしている内に少年は自ら死を選んだ。
もしあの少年が犯人であるなら、永遠に犯人は判らないだろう。
そしてあの時代の事件は時効があり、既に時効は成立している。
ジョンベネ事件でも自殺した男が犯人で無かったとしても何かを知っていたなら、事件が起きてすぐ、犯人、もしくはそれを知る人物は動くものと言える。
今も捜査は進むが、犯人は判らない。
疑われた両親の疑惑も晴れない。
ジョンべネ事件は19世紀の切り裂きジャックと並ぶ事件と言われている。
事件の難しさと不可解さ、謎がまだまだ解けずにいる。
6歳で無残にもこの世を去った少女の魂は休まっているのだろうか。
以前の日本ならもう時効だよ。
今は日本も時効はないし、あちらは最初から時効はない。捜査は未だ続いている。
その結果、いろいろなことが判って来た。
テレビの番組で放送していたんだけど、本国制作ね。(番組では15年と言っていたので2011年の政策かもしれない)吹き替えしてくれてたんだけど、そうすうると名前を聞き流してしまって、いっそのこと字幕にしてくれれば、いちいちメモ取ったのに…という状態なので、一部、「ある男は」で通します。
コロラド州・ボルダーで当時6歳の少女。ジョンベネ・パトリシア・ラムジーが誘拐された末、殺害された。
自宅地下から変わり果てた姿で発見されたが、家族や友人が探して現場保存ができていなかったこと、警察の捜査に問題があったため、未だ事件は解決を見ない。
しかし、徐々に新たなことが判ってきている。
「ジョンベネ」の名前はあちらでも珍しいものだ。
父親のジョンを取り入れたい父親の希望があり、無理やりジョンベネという造語のような名前を作った。今でいうきらきらネームの一種だ。
当時から、内部犯行が囁かれ、兄のこと、父親の幼児性愛説、自分より若く夢を叶えることができるジョンベネを母親というより女として恨んで殺したと言われていた。
実際、母は元・ミスウェストバージニアだっただめ、娘をミス・アメリカにしたいという夢があったと言われる。
しかし6歳の娘に化粧をさせ、セクシーなダンスを踊らせ、子ども対象のビューティーペイジェント(美少女コンテスト)に出場させていることに事件のあと、非難が集まった。
あれは、メディアが、普通着のジョンベネの映像を流さず、美少女コンテストで飾り立てたジョンベネの姿を流したことが幼児性愛者という印象を植えつける役目を果たしてしまったそうだ。
そして夫妻に殺害の嫌疑がかかり、テレビ出演するが、その映像も彼らにとっては悪い印象を助長させてしまった。
母親のパトリシアは薬でも飲んでるかのようにぼぉとしているし、夫の顔をちらちら気にしている。
父親のジョンはやたらと下を向く。
専門家の意見を借りると、下を向くのは隠しごとがある特徴らしい。
パトリシアが早くからジョンベネを美少女コンテストに出したのは、パトリシアが病気だったからだという。
既に彼女はあの時、病を患っていた。それがなければ、ジョンベネが15歳くらい、ああいう化粧やコンテストに出るに相応しい年齢まで待っていたかもしれない。
しかし世間の注目は、両親、2歳上の当時8歳の兄に向いた。しまいにはジョンは依然の結婚によりできた子どもたちにも性的虐待を加えていたと言われた。
2000年にパトリシアは再びテレビに出て疑惑を否定している。
はっきり意見をいい、本来なら好感をもたれるはずの映像でさえ、パトリシアが疑惑を報じるマスコミを責めていつまでも犯人を捕まえられない警察を責めない、悲しみにくれ娘を亡くしたことを泣いて訴える母親の姿を見せないことから、視聴者の期待を大きく外してしまったことが原因で、再びパトリシアに対する疑惑を膨らます結果に終わった。
全てが悪い方に流れていく。
ジョンベネの殺害当時のことを振り返ってみよう。
彼女はクリスマスの翌日、地下室で殺されて発見される。
頭に打撲を負い、首は折れた鉛筆とひもを使って絞められていた。犯されたあともあった。
この遺体が見つかる前、母のパトリシアは階段に誘拐したという手紙を見つけている。
その額が少なく、ジョンが経営する会社のボーナスか何かと同じ金額だったことも夫妻に疑いがかかる一因となった。
これも専門家に言わせると、男性が文章をいい、女性が書いたものだという。
誤字が多いらしいが、これもストレス状態にあるからそうなったそうだ。
夫が言ったことを妻が書いた。そう取ることもできる。しかし、違う考えも成り立つ。
とにかく犯人は1人ではないということだ。
ジョンベネの遺体が発見された地下室に直接降りようと思えば、表に地下へ下りる溝のようなものがあり、そこは柵でふさがれていたが、警察はここは大人が通るには狭すぎると結論を出した。
しかし、後年、ここも調べる人物が通ってみたところ、大人の男性でも十分に通ることができた。
ここに足跡があることを事件を追う人物が発見する。
足跡は1つじゃない。
2人か、複数による犯行を示す足あとだった。
なにより事件の起きる前、不審なことが起きている。
クリスマスが近い頃開かれたコンテストでジョンベネが優勝しているが、ある女性が彼女をじっと見ている男性を見ている。
誰だろうと思い、聞くとその男はジョンベネの父親だと答えたという。
嘘である。
この人物が誰であったか、未だに判っていない。
クリスマス前、ラムジー家は2日間近所の人を招いてパーティーを開き家を公開している。
この間、1500人~2000人の人が訪れたという。
そして15室はある部屋を見せて回っている。
もしこのとき、ジョンベネを狙う幼児性愛者がいれば、十分、家の中の作りを知ることができた。犯行を練ることができた。
そして9年間、小康状態を保っていたパトリシアの病が再び悪化する。彼女は卵巣癌だった。
その頃、ある男の所へ、よく判らないメールが届くようになった。
ジョンベネに関するものだが、いたずらのようでもあり、中に暗号が隠されているようでもあった。わけの判らないメールだったことは確かだ。
男はダクシスと名乗る人物と捜査当局と話し合い、やり取りを続ける。
しかし、ダクシスの居所も判らず、何がいいたのかも判らない。
そして、メールが止まる。
それが、パトリシアの病気が悪化してから、再び届くようになる。しかも今度はパトリシアに謝罪をするようなメールになっていた。
その場に居合わせたのだろうか?
2006年パトリシアが亡くなる。
その後、メールがまたきて、根気よくメールのやり取りを続けていたダクシスから電話がかかってくることになった。
かけて来た先はタイのバンコク。
そうこの男こそ、1度は犯人と自ら名乗り逮捕されたジョン・マーク・カーだった。
しかし、この男のDNAを調べてもジョンベネに残っていた体液と一致しなかった。
カーは釈放される。
このあと、これと言った犯人らしき男は現れていない。新証拠も出てきていない。
しかし、1度もしかしたらという人物が事件が起きてすぐ、上がっていた。
捜査を担当している捜査官が
もう証拠はほどんど判った。お前をもうすぐ捕まえる
とテレビの前で話した時だ。
その翌日、ジョンベネの住んでいた地域で1人の男が自殺した。26歳の軽い犯罪歴のある男だった。
それも自分が撃ったとはしては不自然な方法で死んだ。
この男も体液を検査したが、ジョンベネに残っていたものとは違った。
この自殺当時、男とジョンベネ事件を結び付けて考える捜査員は誰もいなかった。
後年の調べにより、彼は何らかの形で事件の真相を知っていたのではないと言われている。
しかし今となってはあとの祭りだ。
これを書きながら私は1つの事件を思い出した。
昭和の時代に起きた、府中刑務所脇で3億円が盗まれた事件だ。当時としては大金が1人の男によって盗まれたのだ。日本列島を騒がす事件だった。
あの時、犯人と思しき人物が挙げられていた。当時札付きの不良だった少年だ。が、警官の息子だった。警察は身内意識で働き踏み切れず、もたもたしている内に少年は自ら死を選んだ。
もしあの少年が犯人であるなら、永遠に犯人は判らないだろう。
そしてあの時代の事件は時効があり、既に時効は成立している。
ジョンベネ事件でも自殺した男が犯人で無かったとしても何かを知っていたなら、事件が起きてすぐ、犯人、もしくはそれを知る人物は動くものと言える。
今も捜査は進むが、犯人は判らない。
疑われた両親の疑惑も晴れない。
ジョンべネ事件は19世紀の切り裂きジャックと並ぶ事件と言われている。
事件の難しさと不可解さ、謎がまだまだ解けずにいる。
6歳で無残にもこの世を去った少女の魂は休まっているのだろうか。