おはようございます。
いつも娘にスルーされている、大阪水曜ほっと集談会一世です。
最近若い人の間で、スルーするというわけのわからん和製造語が蔓延しています。
分かっていて無視するイメージです。
既読スルーなどは、その典型です。
中には鬼スルーという言葉もあるようです。
完全無視でしょうか?(笑)
「スルー」は「through」という英単語から来ているようです。
本来の「through」は「~を通り抜ける」であるとか、「最初から最後まで」と言う意味を持っているそうです。
さて、毎日仕事やプライベートで膨大な数のメールが届きます。
全てに対応していたら生活が出来ません。
そこで私も嫌な上司のメールは時々スルーしています。
これは、若者にとっての処世術であると感じています。
反論すると要らぬ対立が生じます。
そこでよく言えば静観しているのが、スルー状態でしょうか?。
職場では嫌なメールは日常茶飯事ですが、いちいち引っかかって反発していたら体がもちません。
発見会でも、時々独善的な自己主張をする自称治りすぎオジサンが存在するので鬼スルーです。
ネット社会の影響でしょうか。
最近どこにでも、自分は正しい前提で小賢しい理屈を振りかざす人間が多いです。
おまえもその一人やろ!(心の声)
これでは、当然のことながら寄り添い感も欠如するでしょう。
結果として個々のモチベーションが下がり組織が停滞し、衰退に向かいます。
さて、私は本来の「through」の意味である「~を通り抜ける」が気に入っています。
症状は、無くすることは出来ないけれど通り抜けることはできる。
症状やとらわれもスルー出来ればよいのですが。
最後に娘にスルーされていると書きましたが、正しくは鬼スルーでした。
どうでもええやろ!
2021・6・28 一世