大阪水曜ほっと集談会の一世です。
最近では集談会のぼやきオジサンと呼ばれています。
さて、インスタグラム、YouTubeなどあらゆるSNSにはいいねや再生回数が求められています。
個人的には、最近このいいねが鬱陶しい一世です。
私にいいねは要りません。
日本人は農耕民族であり村制度があり、村八分などと言う言葉が生まれました。
過度に評価を気にしたり、横一列を強要される社会はどこか異常です。
必要以上に周りに気を使うDNAはすばらしい面もありますが、生きづらさの原因でもあります。
なぜこれほど、周りに気を使い生きるのでしょうか?
思春期に読んだ太宰治の「人間失格」に下記の表現がありました。
世間とは、いったい何のことでしょうか?
人間の複数でしょうか?
どこにその世間というものの実体があるのでしょう?
今でもこの言葉にはとても共感しています。
実体のない無い世間を極度に恐れるのも、強迫観念かもしれないと思うこの頃です。
神経質性格の皆様、世間基準で生きるのをやめませんか?
世間を問題にする限りそこには常に森田先生の言われる思想の矛盾が潜んでいます。
せっかく森田療法の学びを得たにも関わらず、相変わらず世間基準に引っ張られて悪戦苦闘されている方が有ります。
かつての私もそうでした。
皆さん自分らしく森田基準、神経質基準で生きませんか?
2021・6・29 一世