「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

3月19日(水)14時~・3月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

アーカイブ 「生きるとはどういうことか考えてみましょう」

2021年12月14日 22時46分38秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

下記は今からちょうど1年前に投稿させていただいたブログです。

本日2021年12月14日、大阪水曜ほっと夜間懇親会を開催してあらためて集談会のすばらしさを実感しました。

僭越ですが、集談会のすばらしさを教えていただいた河野先生のことを記したブログです。

原点に帰って集談会について再度考えたいと思いました。

再度ご覧いただければ、幸いです。

以下、


1997年5月20日生活の発見会編集による一冊の小冊子が号外として発行されました。

発行人は、当時の理事長大谷鈴代氏です。

表紙には「生きるとはどういうことか考えてみましょう」河野基樹講演集というタイトルがつけられています。

この小冊子は私一世の生涯の宝物です。

河野基樹先生の事は、何度もこのブログで紹介させていただきました。

先生から学ばせていただいた事を若い次の世代の会員の皆さんに語り継ぎたいという思いがあります。

以下先生のお言葉の一部を紹介させていただきます。


私が、私が、と自分中心に考えているあいだは、周囲の事に目がいきません。

主役の座降りる緑が美しい(河野基樹先生作)

私はこんなにつらい、私はこんなに苦しいというように、主役が自分であるときは苦しいですね。

生活の発見会で、大勢の会員たちと接することは、ともすれば閉鎖的になりがちな、閉じこもりがちなわれわれ神経質者の人間関係の輪を広げる、大きな役割を果たしているように思います。

機が熟するということが有ります。

森田に接して森田療法を受け入れられる時期というものがあります。

生活の発見会に出会ったり、集談会にせっかくチャンスがあって出席してもその人の機がそこまで熟していないと、発見会に飛び込めないで、そのまま離れてしまう場合があります。

そして発見会での人間関係のよさは上下関係がないということがひとつと、それから二番目には、利害関係もないということであろうと思います。

早く入会したからその人が上だ、初心者だからこの人は下だ、ということはありません。

発見会の中では、みんな平等だと思っています。


河野先生が他界されて来年で25年になろうとしていますが、先生からの学びは、今も続いています。

そしてこれからも・・・・・

2020・12・14 一世

 

 

 

 


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今を生きるのが苦手な神経質者!

2021年12月14日 14時48分08秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

休職したことで、今までとは考え方や価値観に微妙に変化が生じ、大きな転機になりそうな予感がしている私です。

振りかえりますと、明日の仕事に支障があるとか将来のことを考えてその時にやりたかったのに、やらなかったことがあまりに多かったと感じています。

いくら備えを十分にしてもいつも漠然とした不安に翻弄されてきた私です。

神経質者は、過去を憂いて未来への不安に慄(おのの)く。

神経症とは、今に適応できず、今を生きていないと何かで読んだことがあります。

※「我慢して生きるほど人生は長くない」というタイトルの書を読んでますますその思いを強くしています。

最近、森田関連の図書ではありませんが、この若い心療内科医が書かれた本がとても参考になりました。

以下抜粋、

心が弱っているときには、自分をジャッジする人から離れたほうがいい。

社会には、あなたの真面目さや善良さにつけ込む人がいる。

自分の価値観やルールに基づいた自分らしい人生、自分だけの物語を取り戻す。

自分と他人の境界線があいまいだと、生きづらくなる。

嫌なことから逃げる、不本意なことを拒否する、合わないことをやめる。

最後にアメリカの心理学者カールロジャースの言葉の引用がとても参考になりました。

この世におけるすべての〈いのち〉あるものは、本来自らに与えられた〈いのちの働き〉を発揮して、よりよくより強く生きるように定められている。

繰り返し私がブログに投稿したいテーマは、この命の働きかもしれません。

そして立ち止まることは、停滞ではなく再生であるということです。

鬱という漢字には、躍動的で生命活動が盛んであるというもう一つの隠された意味があるのです。

そしてもう一つのテーマは、生きている自分から生かされている自分、自力から他力への発想の転換です。

自分が、自分がと自分が主役であるという人生はしんどい。

脇役で良い、ちょい役でも良い。

脇役の方が、周囲を良く見渡すことができる場合があります。

当然ですが、私が1年休んでも会社は、つぶれない。

まだ、遅くはない。

これから、本当に私がやりたいことを心に問いながらその時の気持ちに正直に生きていけたらと思う一世です。


2021・12・14 一世

※参照 鈴木裕介氏・心療内科医・「我慢して生きるほど人生は、長くない」より


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