大阪水曜ほっと集談会一世です。
結婚式の誓いのシーンに出て来るようなタイトルですが、今年は本当に色々ありました。
当然辛い意味での色々ですが、こうして穏やかな年の瀬を迎えられたことが不思議です。
今年を1文字で表すとすれば私の場合は惑(まどい)ですね。
春先から※適応障害のような症状があらわれて夏場までしばらく続きました。
※ある特定の状況や出来事(転勤、配転、新しい人間関係など)が、その人にとっての主観的な苦悩(とてもつらく耐えがたく感じ)を生み、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。
そのようなときは、LINEをする気力もなくどうしようもありません。
秋口から高血圧に悩まされ、年末に転倒事故があり初めて休職を経験しました。
神経質症状は、どこに行ったのか?
神経質症状の出番がないほど、しんどい1年でした。
おまえは、甘いと言われそうですが、次女が自立して、実質子育てが強制終了し、喪失感が続いています。
確かにこれは、私の中での主観的な苦しみであり、集談会には壮絶な苦しみを体験されている方がたくさん有ります。
ただ、他人と比べることから自由になり自分の思いを紡ぎたいという一念で投稿させていただいています。
私の好きな五木寛之氏の言葉があらためて師走の寒さと共に心に沁みる一世です。
生きるということは、何と苦しいことか、投げ出してしまいたい。
そう思ったことも一度や二度ではありません。
しかしそのたびに不思議と私は踏みとどまり、どうにか生き延びてきました。
そんな中で、数年前から、私は「生きる、それだけで十分奇蹟ではないのか」と思うようになったのです。
2021・12・13 一世
※参照 五木寛之氏著 「ただ生きていく、それだけで素晴らしい」より