Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

チベット

2008-04-10 | 想い・雑感
北京へ向けての聖火リレーを妨害する活動が
メディアで報道されている
新聞もテレビも取り上げている
でも聖火がどうなろうとどうでもよい

それより
大元のチベットで起きていることを
どうしてメディアは伝える努力をしないのだろうか

政治的な興味はないが
自由を叫んで連れ去られたお坊さんたちが
その後どんな扱いを受けているのかと思うと
心が痛む

中国当局にしてみれば
そのようなお坊さんは当然政治犯
政治犯に簡単に死刑を言い渡す国だから
あのお坊さんたちもそうならないとは限らない
お坊さんの心臓や肝臓が
いずれ誰かの体の中で息づく というのは想像しすぎであろうか

日本の仏教者たちはどうしているのだろうか
日本へきた仏教の流れをさかのぼれば
チベット仏教というのは
かなり源流に近いところに位置しているのではないかと思うのだが
チベット仏教の危機に際して
何も思うことはないのだろうか

仏教を信じ
日々を慎ましく生きる一人の人間の生が
大きな力によって虐げられる状況をみて
何も発言しないのだろうか

花びら

2008-04-10 | 想い・雑感
落ち行く花びらを見て

をイメージすることが多い

でも
流れる水に落ちた多くの花びらたちが
少し流れの堰き止められた小川の中で
押し合いへしあいしているのを見ていると
死というより
新たな旅立ちに向けて
楽しそうにわいわいがやがや話しているように感じた

花びらが落ちることは
淡々と流れていく
時を意味しているだけ

流れ行く花びらは
次なる命につながっていく

花びらを落とした木は生きている
いずれ枯れ行くかもしれないが
大地は生きている

大地も割れ
ばらばらに散っていく日が来るかもしれないが
宇宙は存在している

死もそのように
ずっとつながり行く時の中での
ほんの小さな変化に過ぎないのかもしれない