Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

どこ?

2013-08-31 | 想い・雑感
知らぬうちに眠ってしまい
眼を覚ましたときに
えっ 自分は今どこにいるんだろう
と見当がつかなくなることがある

きょろきょろ見回し
ああ 寝てしまっていたんだ
と気がつく

死ぬときというのは
この知らぬうちに眠ってしまう 意識をなくしてしまう
ということになるのだろうと思っている
実際に自分の死が宣告されるときというのは
もう自分には分からないわけだ

ならば
生きているうちは
生きていることに心を込めればいいわけだ

あとは人智を超えた大いなる命にまかせるしかない

それにしても
死んだあとも少しして
えっ 自分はどこにいるんだろう
とあたりをきょろきょろ見回すなんてことあるのだろうか
あると考えればそれもまた楽しいね

地獄

2013-08-31 | 想い・雑感
一人の末期癌の方を目の前にしていても
何かできることがないか(何もしないという選択も含め)と
いろいろ頭を悩ませ右往左往
ということがあるのだが

生死に関わる状況の方が
一気に複数目の前に現れたら
その混乱はさらに増幅されるだろう

大規模災害対策で耳にするトリアージは
その混乱をなるべく少なくし
重症度に応じた対応ができるようにするものだが
このトリアージという概念自体は
野戦病院における負傷者対応において出てきたと聞く

今回のシリアのように
一気に大量の死者が担ぎ込まれる状況では
対応せずと判断される(トリアージされる)人々が
多く出てしまい
医療者は苦しみながら死に行く人々を眼の片隅で認識しながら
助かる見込みのある人の治療にあたることになる
光を失っていく眼から視線をそらしてしまうかもしれない
まさに地獄絵図である

戦争とはこのような地獄絵図が繰り広げられる行為である
ということを皆が強く認識する必要がある
イメージを持つにはその映像を人の眼からあまり遠ざけてはいけない
その真実を伝えるためにこそメディアは存在する

まあ地獄といっても
現代のわれわれは地獄という概念自体が
希薄になってしまっているのだが