人生経験を積み
円熟した人をさして
枯れてきた
などと言います
草木が枯れるような意味とは違い
恐らく お寺のお坊さんや仙人の様な人の風貌をイメージして
枯れる
などという 形容をするのだろうと想像します
実際高齢になると
からだに占める水分の割合が徐々に減り
確かに枯れては来ますけれどね
ところでこの水分
平均的成人では
体重の約6割が水だと言われています
なんと半分以上が水なんですよね
俺が 私が
と我を張っている人間
その人間の体の6割が水というのも
少し不思議な感じがします
さて
今現在 あなたの体の中にある水は
あなた自身なのでしょうか
今血管の中を通っている水は
いずれ おしっこや 呼気中の水蒸気として出て行くはず
脳や脊髄を取り巻く
脳脊髄液中の水は?
食事中に出る 唾液中の水は?
涙は?
鼻水は?
消化液は?
細胞の中の水は?
さて どこまでが
私なんでしょうか
円熟した人をさして
枯れてきた
などと言います
草木が枯れるような意味とは違い
恐らく お寺のお坊さんや仙人の様な人の風貌をイメージして
枯れる
などという 形容をするのだろうと想像します
実際高齢になると
からだに占める水分の割合が徐々に減り
確かに枯れては来ますけれどね
ところでこの水分
平均的成人では
体重の約6割が水だと言われています
なんと半分以上が水なんですよね
俺が 私が
と我を張っている人間
その人間の体の6割が水というのも
少し不思議な感じがします
さて
今現在 あなたの体の中にある水は
あなた自身なのでしょうか
今血管の中を通っている水は
いずれ おしっこや 呼気中の水蒸気として出て行くはず
脳や脊髄を取り巻く
脳脊髄液中の水は?
食事中に出る 唾液中の水は?
涙は?
鼻水は?
消化液は?
細胞の中の水は?
さて どこまでが
私なんでしょうか
「わたしの 領域」というタイトル,いいですね。
わたし自身はインド仏教思想研究にたずさわっていて,思想研究の分野で「人間」とは何か,「自己」とは何か,などと日頃考えております。
ずいぶん以前のことですが,多田富雄氏が免疫学の立場から 「わたし」とは何かと問うた『免疫の意味論』を読み,ずいぶん刺激を受けたことを思い出しました。
インドに行きますと,生命の尊さについてあらためて考えさせられます。