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今日は亡き母の誕生日
私は命日よりも誕生日に線香をあげるほうがすきだ
母の元気な姿をイメージすることができ
私自身も元気をもらい 勇気づけられる
線香の煙
すうっと立ち上り
途中で乱れ
次第に薄く消えていく
そして香りだけが残る
立ち上り消えていった命も
その思い出という香りを
私のなかに残していてくれる
母は50歳くらいになった頃から
誕生日を迎えると
「ああ また一年命があったとおもい うれしくなる」
とつぶやいていた
自分の母親が若くして亡くなっており
自身がそれほど長生きできるとは思っておらず
生きているありがたさを感じていたのだろうか
そんなものかな
と思っていた私も
その気持ちがわかる年齢になってきた
今 庭の桜は満開
毎年桜を見ると
散る桜
残る桜も散る桜
という言葉を口にしたくなるが
年々その言葉の身に沁みる度合いが
増してくるのを感じる
私は命日よりも誕生日に線香をあげるほうがすきだ
母の元気な姿をイメージすることができ
私自身も元気をもらい 勇気づけられる
線香の煙
すうっと立ち上り
途中で乱れ
次第に薄く消えていく
そして香りだけが残る
立ち上り消えていった命も
その思い出という香りを
私のなかに残していてくれる
母は50歳くらいになった頃から
誕生日を迎えると
「ああ また一年命があったとおもい うれしくなる」
とつぶやいていた
自分の母親が若くして亡くなっており
自身がそれほど長生きできるとは思っておらず
生きているありがたさを感じていたのだろうか
そんなものかな
と思っていた私も
その気持ちがわかる年齢になってきた
今 庭の桜は満開
毎年桜を見ると
散る桜
残る桜も散る桜
という言葉を口にしたくなるが
年々その言葉の身に沁みる度合いが
増してくるのを感じる
私の母も九州の田舎町の代々の助産婦で、50歳の若さで他界しました。私が医学部3年生の時でした。渡は母に何の親孝行もできずに・・・母は仕事と家族のために尊い人生を捧げていました。最後まで、将来白衣を着る息子の姿を主治医の研修医の先生達に重ねて、感謝の日々を病棟で過ごしていました。母の最期には間に合いませんでしたが、母の人生は短いながらも素晴らしい人生だったと今でも思います。
つい先日、喜寿の父が不整脈による失神発作で倒れて・・・緊急で上京させて自分の手でペースメーカーを植え込みました。父は元気になって、田舎で安心して生活しています。若い頃から左脚ブロックのあった父のことを、母は「いつかあなたがお父さんを助けてね!」と言っていたことを思い出しました。母は私が循環器を志すと分かっていたかのように・・・ 今は、母の分まで父へ親孝行しようと思います。
日々の祈り・・・感謝の気持ちで日一日を大切に生きたいですね。
その愛情の大きさがわかるお父さんから
今度は娘さんたちが
たくさんの心の贈り物を
もらうことができるのでしょうね
一度の人生
お互い
急がず
だけど確実に 生きて行きたいですね
コメントありがとうございました
過ぎた時間が見えてくる
一人でキーボードに向かう姿を目に浮かべ
夜遅く、やはり一人で教材研究に向かっていた母の後姿が思い出された
何かがふっと交わっている…そんな思いにじんわりした夜
ありがとう