11両のやまが城下町・大垣の街中を巡行し、華麗な元禄絵巻を繰り広げる
「大垣まつり」が行われたので、観に行ってきた
大垣まつりの起源は、慶安元年(1648年)、大垣城下町の総氏神であった八幡宮が
十万石の大垣城初代藩主・戸田氏鉄公により再建整備された折
城下の18郷が喜びを神輿3社の寄付で表し
大垣10ヶ町(本町・中町・新町・魚屋町・竹島町・俵町・船町・伝馬町
岐阜町・宮町)が10両のやまを造って引き出したのが始まりと云われている
延宝7年(1679年)、時の藩主戸田氏西公から、神楽やま、大黒やま、恵比寿やまの
いわゆる三両やまを賜り、それを機に10ヶ町はやまの飾り付けに趣向を凝らしてきた
しかし、濃尾震災や第2次世界大戦によって、多くのやまが消失してしまった
恵比寿やま、相生やま、菅原やま、鯰やま、榊やま、玉の井やま
松竹やま、愛宕やま、猩々やまの11両が現存しており
本楽の日の9日は、八幡神社で奉芸した後、各やまは道順を今年は西回りにして
旧国道を一時交通止めにしたりしながら、古い町並みの中を
約8,800mに渡って巡行し、夜になって再び八幡神社前の水門川沿いに集合し
提灯を点灯して、八幡神社前で奉芸した後、曳き分かれ各町へと帰り
やまを一目観ようと、夜も沿道を埋め尽くした多くの人で賑わっていた
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