花咲爺やの気まぐれ通信

日々の出来事等を き・ま・ぐ・れ・に発信

古戦場でお祭りが・・・

2010年10月20日 | お祭り
天下統一を果たした豊臣秀吉が
幼い後継者・豊臣秀頼の行く末を案じながら
この世を去った秀吉亡き後
天下取りを狙う東軍の総大将・徳川家康と
豊臣家に忠誠を誓う西軍の大将・石田三成との間で行われた
史上最大の戦いが、慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)
降り続いていた雨が止み、霧が晴れ出してきた
午前8時に美濃の国・関ヶ原で決戦の火蓋が切られ
一進一退の激しい攻防を、繰り返した後
午後4時頃には、ほぼ決着がつき東軍が勝利を収めたと云われ
これが学生時代に教わって、皆さんよくご存知の
俗に「天下分け目の関ヶ原の決戦」と云われる戦いである


この「天下分け目の決戦」の舞台となった
関ヶ原町・笹尾山と陣場野会場を中心にして
「関ヶ原合戦410年祭」が16、17日の両日行われたので
公共交通機関を利用して、爺やも17日に会場へ行ってきた
  

石田三成が陣を構えた笹尾山の会場では
西軍の10隊が、当時と同じ様に布陣し
布陣パホーマンスを行い、来場者との交流や記念撮影に応じたり
本物の火縄銃を持った各地の鉄砲隊が参加しての
実際に火薬をつめて様々な射撃法の実演が行われたり
公式イメージソングを唄う「さくらゆき」が笹尾山をバックに
この歌等を熱唱するライブが行われたり
関ヶ原合戦を壮大に再現する群集劇の合戦絵巻
「決戦関ヶ原・漢たちの宴」が一般参加者と殺陣役者や
鉄砲隊らの総勢約200人が競演し、語りや音楽、殺陣等を交えて
ドラマチックに演出し、1時間に渡り隣のグラウンドで繰り広げられ
その後は、合戦絵巻を終えた東西両軍が隊列を組んで
威風堂々と笹尾山会場から陣場野会場まで行軍して行った


また、陣場野会場では地元小学生が手作りの甲冑を着て
剣舞や語り太鼓等を披露し、両会場共歴史ファンの歴女達や
多くの観光客らで、終日大変賑わっていた



このお祭りの様子を期間限定のデジブックで作成しましたので
時間がございましたら、お早めにご覧下さい(11月18削除予定)






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