恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白
先の続き・・・
どこへ、どこまで逃げたとしても、
自分の心から逃れることはできません。
それから逃れるには、自ら悔い改める以外にありません。
悔い改めたら、二度と繰り返さない努力をすることです。
毎日の生活の中に再び過ちを繰り返さない実践、
行いが、正法を学ぶ者の修行です。
もし滝に打たれて自分の犯した業が流れ去るのでしたら、
自分のいいもの、折角の長所も、流れて消えるはずです。
悪も消える代わりに善も消えてしまいます。
そんなものはなんの役にも立ちません。
護摩も同じことです。
護摩を焚くと因縁が消滅するといいますが、
因縁は自分自身がつくったものです。
自分が日々の行いの中に誤まった想念を持ち、
神の御心から離れた行いをした
場合、それが自分の業、因縁となって残っていくのです。
護摩を焚いて消えるはずはありません。
自分が作ったものによって苦しんでいるのです。
その苦しみを人に拝んでもらったり、
滝に打たれて身を清めたり、
或いは護摩を焚くなどしても自分が作った原因を
人が消してくれるはずは絶対にありません。
どんなことをしても消えることはありません。