根っからの根性なしなので、ちょっと体調が悪いと何もやる気がしない。でもそれでいいじゃないか。体調が悪いときはなにもせず、じっと回復を待つのだ。次女は本能で生きているので、本当にそんな感じで、野生だなあと思う。
体調の良いときは健康に気をつかっているつもりだ。もう、アラカンなので筋力の減少が気になる。もともとそんなに筋肉があるわけではないので、これ以上減らしたくない。できるだけ楽ちんな筋トレを探してちまちまやっている。有酸素運動は、やると活性化してその後一日体調が良いのだ。でもなかなかできない。今は寒くて自転車通勤する気がしないのだ。今日は運動できるかな。
体調の良いときは健康に気をつかっているつもりだ。もう、アラカンなので筋力の減少が気になる。もともとそんなに筋肉があるわけではないので、これ以上減らしたくない。できるだけ楽ちんな筋トレを探してちまちまやっている。有酸素運動は、やると活性化してその後一日体調が良いのだ。でもなかなかできない。今は寒くて自転車通勤する気がしないのだ。今日は運動できるかな。

でも理論的には、真球なら(完全な球で大きさがそろっていれば)すきまというか、逆に言えば空間に占める「そのもの」の率は同じなのだ。そういうと同僚(おばさん、って書くのは男女差別かね?)はまったく信用せず、それどころかなに言ってるのみたいなことを言う。
たしかに、大きな球の方が大きな隙間があるような感じするものね。だけど小さい粒になると小さな隙間がたくさんあるんだよ。だから空間に占める隙間の率は実は同じなんだよねえ、理論的にはね。ええ?!そうですか、そんなことないですよお、だって、、、
これは化学の専門分野だ。結晶格子と充填率の話をしたのだが、それでも信用せず、あれこれ計算?だかスケッチだかしていたが、球の体積はなんでしたっけ?4/3πr3じゃない、などとこっちだってうろ覚えだが、それで、しぶしぶむりやり納得しようとしていた。
大きさが違う球を適当な箱に詰めて重さでもはかり充填率は同じだ、つまり隙間は大きな球でも小さな球でも同じだということを実感する道具が作れないかなあ。
むかし、これはたしか糸井重里なのだが、円錐とか多角錐の体積は底面積×高さ×1/3だ、円柱と円錐の容器を作って、円錐に水だったか粉だったかを入れて円柱に移すとちょうど3杯でいっぱいになる。感動する。と言うようなことを書いていて僕も読んだだけで感動した。それを思い出した。
でも理論は理論、完全に同じ大きさ形ならそうだが、コーヒーの場合、豆をひいた後の粉の大きさにムラが出ると、大きな隙間に小さな粉が入って体積は小さくなるかもしれない。

そして、そのあとその少尉が一兵卒に戦争とは何だと思ってるんだ、本音を言えというようなことを聞くとなんと「戦争とは殺し、分捕ることであります」というのだ。がっくりくる。脱力した。笑ってしまった。感動的だ。
大人の世界というか人間ってこんなもんじゃない?そしてまたそれこそが戦争の本質なのだと思う。
永六輔が、学校の先生は怒ってはいけない、叱りなさい。感情にまかせてはいけない、きちんと悪いことはどこが悪いか説明すべきだ、というようなことをよく言っていて、ぼくは永六輔をちょっと尊敬しているのだ、だが、そうじゃないことも知っている。理屈で諭しても通じないことがある。怒(いか)って初めて、まずいことだったんだとわかってもらえることがある。
大人になれば、怒り狂ってもそれでも通じないことがある。
また「神聖喜劇」だけれど、剣鞘すり替ええん罪事件で、東堂が、いくら正義を叫んでもわかってもらえるかどうかわからない、証拠もなしにあいつが真犯人だと言ってもわかってもらえないし言うべきではない、それでも今の犯人断定はまちがっているし正しいことは言わなければならない、と、これも感動的なことを言う。
大人が生きていくのは本当に難しいと思う。
休みを取って、市役所まで市民税県民税申告相談に行ってきた。老母の代理だ。15時までといういかにも役所的な、あるいは銀行のようなクソ自己都合、傲慢な時間設定だなあとも思うが、まあしょうがない。13半に受付して、どのくらい待つようですかねえ、と聞くと2時間くらいでしょうかと言う。それじゃあ15時を遙かに超えてしまう。こういうのを見越しての時間設定なのだろう。
それでも15時前に順番が回ってきた。たいした相談内容ではない。結局わずかな公的年金、わずかな地代収入では無税らしい。ましてや介護保険認定があり、障害者控除の対象らしい。こまかいところは市役所の方で記入するから大事なところだけ記入しろと言う。いままで母が除草剤がいくらだの草むしりの人賦代がどうの言っていたが、こんな地代で経費もないもんだと思っていたが、その通りだった。むだに頭を悩ませなくて相談のかいがあった。
それでも15時前に順番が回ってきた。たいした相談内容ではない。結局わずかな公的年金、わずかな地代収入では無税らしい。ましてや介護保険認定があり、障害者控除の対象らしい。こまかいところは市役所の方で記入するから大事なところだけ記入しろと言う。いままで母が除草剤がいくらだの草むしりの人賦代がどうの言っていたが、こんな地代で経費もないもんだと思っていたが、その通りだった。むだに頭を悩ませなくて相談のかいがあった。
いまだ、神聖喜劇にはまっている。(字が多くて進みゃあしない)
三八銃(三八式歩兵銃)はもしかしたら司馬遼太郎で読み知ったのかもしれないが、三八式野砲のことはまったく無知なもので知らなかった。これは明治三八年製ではなくて、明治四〇年(どっちにしたって、、、)に開発されたものらしい。
ぼくにはおーい大砲、じゃなくて「おお、大砲」だったっけ?と大して変わらない感じがする。うーん。
三八銃(三八式歩兵銃)はもしかしたら司馬遼太郎で読み知ったのかもしれないが、三八式野砲のことはまったく無知なもので知らなかった。これは明治三八年製ではなくて、明治四〇年(どっちにしたって、、、)に開発されたものらしい。
ぼくにはおーい大砲、じゃなくて「おお、大砲」だったっけ?と大して変わらない感じがする。うーん。

それにしてもすごい。戦中の日本軍を舞台にしたものだが、その圧倒的な内容!漫画もものすごい字の量だ。でも一応(?)漫画になっている。原作をすべて漫画にすることは不可能だった、はしょった、というようなことを書いているようだから、原作はどれだけすごいのか。ちょっとでも見てみないといけないなあ。
1巻の解説に、これは軍隊を舞台にした「冒険小説だ」というのを読んで、感心してしまった。なるほど!たしかに、主人公はやむにやまれず困難に立ち向かっていき、途中なんだか知らないけれど(いやなんだか知らないからじゃなくて、主人公だから、だと思うけれど)女にモテて、使命ははたされるのだが、わずかなむなしさととともに去っていく、というような、つまり昔、谷口ジロー狩撫麻礼が書いていたどこの国だかわからなないスパイ漫画とかあるいは西部劇とかと同じ、、、、いや茶化しているような感じになってしまって、よくないが、そんなつもりは全然ないのだが、でもそういう冷めた目も必要だし、そうそう、この作品はなんともいえないユーモアがある。爆笑するなどと書いてある書評(?ネット上)もある。
ともかく、ぼくにはこの作品をを「冒険小説」と認識することはできなかった。でもまったくそうだ。これを「冒険小説」と考えることが一般的なことなのだとしたら、ぼくはまったく無知蒙昧だなあ。
追記38式野砲のこと
追記大人の世界

囲碁というのはほんとうに素晴らしいゲームだと思う。ちょっととっつきにくいかなあ。世の中のおじさんどもが、ちょっと深みにはまりすぎているのかもしれない。そして全然知らない人も多すぎる。もっとずっと初心者でも楽しめるのだが、あまりに奥が深いものだから、それがために楽しめていないのではないか。