東日本大震災から6年経ちました。
地震発生時、私は横浜市の自宅におりました。
午前中まで、伊東で仕事があり、夕方、東京駅で打合せ予定でした。
横浜に意外と早く着いたので、出張用のキャリーバッグを家に置いてから、出かけ事に変更しました。
自宅で一息ついて、そろそろ出かけようとした14時46分に、大地震が発生。
発生とほぼ、同時に私の住んでいた横浜市は停電。
どこで地震が発生したのかも分からない状況でした。
何度も大きな余震がありましたので、20分後には、自宅からでて、団地内にある広い公園に避難。
近所のおじさんのラジオで、東北の地震と知りました。
その後、少し落ち着いたので、東海道線を見に行ったら、横須賀線の高架の橋脚が折れているのを発見。
電車は動いておりませんでしたが、橋脚が折れているのを伝えるため、JR駅に行く。
この地域は停電でしたが、JRだけは電気がついていました。
大きな画面でTVも放送していました。
JRの電源は、自家製で、東電とは関係なく供給されています。
橋脚が折れていたため、約1週間以上、横須賀線は不通でした。
なお、停電が解消したのは、夜9時過ぎでした。
家に立ち寄らなければ、東京駅でキャリーバッグを抱えた帰宅困難者になっていました。
あれから、6年。
まだ、復興は道半ば。
原発の廃炉に至っては、遅々として進んでいません。
原発については、この廃炉の状況を鑑み、再稼働を考えて欲しいと思います。
何でもそうですが、撤退が一番難しいと言われています。
合戦の時の殿(しんがり)もしかり。
チェリノブイり原発のように、広範囲を立ち入り禁止地区にし、本当に安心して住民が戻れる環境にして欲しいと考えます。