古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『烈兵団』インパール戦記 を読みました。

2012年08月23日 03時42分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 先日『ビルマ決戦記』という本を読んで、インパール作戦がなぜ発動されたかについて、著者・越智春海の見解を載せました。ぼくがその見解に賛成しているわけではありません。一つの見方として引用したのです。でもこの著者には、ぼくにはうなずけない問題点があります。
 それは途中に出てくる「辻政信」の評価です。辻についてはいまも2チャンネルにコメントが寄せられていますが、ぼくはその存在を評価したり許したりすべきでないと思います。口八丁手八丁で、戦争に負けてからも彼が講演会をするといえばものすごい人が殺到し、国会議員の選挙に出れば悠々当選し、現在でも辻の著書が復刻されて新刊書店に並んでいます。そんな辻政信の存在を許す日本の国民の国民性を、問題にしたいのです。
 ノモンハン事件一つとっても、辻はあそこで失脚して以降は歴史に登場すべきでなかった。ところが大本営の参謀本部やガダルカナルなどあちこちに出没する。そのことが問題なのに問題にならない。辻だけでなく、そんな口をぬぐっている人がいっぱいいる。それを「国民性」で片付けていいのでしょうか。あの戦争の責任や反省をあいまいにしたままでは、どうしても気のすまない人はいっぱいいるはずです。
 ところで『烈兵団・インパール戦記』(斉藤政治 著 / 光人社NF文庫)を一気に読みました。ビルマの戦争を概観しただけの『ビルマ決戦記』とちがい、自分の体験したインパール作戦を描いた本です。読みながら「この人はここで駄目になるのではないか」と思いましたが、「でも生きて還れたからこの本が書けたんだ。ここはなんとか生き延びたはずだ」と自分にいいきかせながら読みました。
 インパール作戦では三つの兵団が3コースに分かれてインパールを攻略することになっていました。「祭」「弓」「烈」です。その中でも「烈」は一番過酷な戦いを強いられました。それを「烈」は果敢に戦い、目標のコヒマを攻略しました。しかし出陣前に何度も確かめた食料・弾薬の補給がないので、兵団長の佐藤中将は命令に反して撤退しました。軍事裁判で、「無茶な作戦を立て、無茶な命令を出した」牟田口中将と対決するつもりで。(しかし牟田口は佐藤を精神病扱いにして軍事裁判を避けました)
 その撤退の道は『靖国街道』『白骨街道』と呼ばれました。ビルマは雨期になり、世界一の雨量とぬかるむジャングル、増水したチンドウイン河で、飢えた兵士は次々と倒れ、数万の兵士がウジムシに肉や皮をかじられて、白骨になっていったのです。地獄でした。でも目を反らすことができず、ぼくは「烈」の戦いに参加して生き残った兵士の手記があれば読むことにしてきました。
 このブログでもインパールのことは何度か書きました。死ぬまで書くことになると思います。読んでくださってありがとうございました。
コメント
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