先日、家のまわりに積んでいた材木の切れ端を使って、ベンチをつくりました。それを焚き火場のそばに置いた写真です。このベンチ、脚は9センチ角の柱4本。それに同じような太い端材を使っていますからとっても頑丈で、木のベンチと思えないほど重い。超怒級のベンチになりました。
このベンチをつくるとき、久しぶりに「スライド丸鋸」を出して9センチ角の柱を切断したり、電動ドリルで穴をあけて9センチのビスで柱を止めたりしながら、「ああ、いい気持ちだ。やっぱり大工仕事はぼくにとっては格別だなあ」と思いました。
もう61年もむかし、ぼくが中学生だった頃のことです。おばあちゃんの家の「五右衛門風呂の丸いふた」が腐って駄目になりました。そこでぼくが休みに、クギとカナヅチ、カンナとノコギリを持って行き、板で風呂のふたをつくりました。
※はじめの原稿では(51年もむかし、……)としていました。10年サバを読んだつもりではなく、高 齢になって計算間違いしていました。ごめんなさい。
おばあちゃんが日に干していたその「ふた」を、近所の大工さんが見て、「啓ちゃんはもう中学かいな。学校出たらうちに弟子に来ないかきいてみて」と声をかけたそうです。
ぼくがその話をきいたのはもう上の学校を出て就職してからのことですが、長い人生の途上で「あのとき大工さんになってたら、いまごろどうしてるかな」と思ったことがあります。
考えてみると何度か引越してからいまの家に落ち着いたのですが、引越すたびになにか大工仕事をしました。下駄箱、玩具棚やマガジンラック、本棚、踏み台などをつくりました。棚もつけました。屋根裏に収納棚をつくったこともあります。でも振り返ってみると「ほんの片手間の<小物>ばかりつくっていた」と思います。
大豆畑トラストで小屋を借りることになり、そこで本格的な大工仕事をしたのが、新たなはじまりでした。屋根に波板を張り、食器棚をつけ、流し台をつけ、シャワー室をつくり、水洗便所をつけ、いろんな大工仕事をしました。そしてついにいまの家でウッドデッキをつけたり、パントリーや大工小屋をつくったり、デッキに屋根をつけたり、といろんな仕事ができるようになりました。
今年は「鶏小屋をつくって鶏を飼いたい」と思っています。朝早く寝床のなかで「コケコッコー」と雄鶏の鳴く声を聞く。まさに〝田舎の音の風景〝。わくわくします。