きのう・3月10日(日)『口吉川地区戦没者追悼式』があったので、黒い服を着て参加させてもらいました。こんな会があるのを知ったのは「口吉川町公民館だより」です。「小学校裏の<忠魂碑>前で行う」とありましたが、天候不順で公民館の大会議室(体育館)に変更されていました。
散歩して、墓碑の先端の尖った「戦死者の墓」を見かけると、消えかかった文字を読もうとしたりしてきました。でも各地の「遺徳顕彰会」が戦没者追悼式を行っていることに注意が向きませんでした。敗戦後営営と続けられて、いま消えかかっている式なんですね。
三木市の「遺徳顕彰会会長」は市長で、役所の人たちや議員が来賓として列席し(写真左の来賓席)、口吉川町の各地区長や消防団役員などが列席し(正面向き左側の席)、遺族は右側の席になっていました。ぼくは右の遺族席にすわって式を見守りました。
みなさん、おごそかに小声で献辞を述べられるのでよく聞えませんでした。昭和20年代から延々と続いている行事で、遺族の参加が年々少なくなり、10人余りだったでしょうか。
このブログでは「あの戦争」のことをときどき書いています。口吉川町殿畑を散歩して、戦死した兵士の墓が三つ並んでいるのを見たとき、スピルバーグのアメリカ映画『プライベート・ライアン』を思い出しました。
※ <映画のあらすじ> ライアン家では三人の兄弟が出征。相次いで戦死した。そのたびに戦死の公報がライアン家で待つ母親に届けられた。「一家の男兄弟3人が戦死し、4人目もヨーロッパ戦線で<ノルマンジー上陸作戦>に参加している。もし4人目が戦死すればライアン家には子どもがいなくなる」それをたまたま知った軍・上層部のはからいで、「〝この兵士を守る〝という特別任務の8人の部隊が秘密裡に編成された」。それが<プライベート・ライアン>であった。……。冒頭の「映画史に残る」といわれるノルマンジー上陸作戦・戦闘シーンには圧倒されます。
殿畑の戦死者の墓碑は〝三人兄弟〝ではありませんでした。(それぞれ親の名前が異なりました)この戦死者たちの生前を知る方に話をききたいと老人会長さんにお願いしていたのですが、それが叶うことになりました。追悼式のあと、その方を紹介していただきました。近く訪ねます。