古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

10月6日はいっぱいあって …… その2

2019年10月07日 00時47分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 この日「永代供養」のお墓に「納骨」して「開眼法要」をしました。

 我が家の墓の歴史を振り返ってみます。
 母は敗戦後に2女の伸子を3歳で亡くしました。悔いることが多く、母は小さな仏壇を買って、拝むようになりました。「お骨」は鳥取市にある本家のお墓に納骨しました。
 64歳で神戸に出ると、まず大きな仏壇を買いました。それから「神戸にお墓を作ろう」と思いました。ひよどり墓園の抽選に外れたので神戸平和霊苑に申込み、お墓を作りました。このお墓に鳥取から伸子の「お骨」を移し、お墓の開眼法要をしました。40年も前のことになります。
 それからは/お彼岸/お盆/お彼岸/ときには年末/に車で父母を連れて行き、お参りしてきました。22年前には父が米寿を祝ってから亡くなり、このお墓に納骨しました。墓石に戒名や年月日を彫ってもらいました。
 母が94歳になったとき、我が家は三木市郊外のいまの家に引っ越しました。ひよどり台に弟と暮らしていた母は、主婦気取りでなかなか承知しませんでしたが、説得して三木市に引き取りました。弟は独り暮らしを希望していました。
 三木市に暮らすようになってから「墓参」はぼくらが花を持って行きました。車で30分かかりました。母は、ぼくらが「墓参り」した写真を仏壇に置いて、拝みました。三木市に移り住んで12年。数年前から墓参りをしなくなりました。ときに思い出したようにお参りすることはありましたが。2年前に弟が急死し、今年になって母が行年107歳で亡くなりました。
 二人の「お骨」は仏壇に置いたままでした。お参りしないあのお墓に、戒名を彫り、納骨する気になりませんでした。
 そのうち平和霊苑の永代供養の話をきいて、お願いすることにしました。
 まず「墓仕舞い」です。大志くん一家・萌ちゃん一家に参列してもらい、8月に道子さんのお経で墓仕舞いをしました。あとは霊苑の業者にお願いして墓石を粉砕してもらいました。

 お墓のあったところです。更地にしてもらっています。
 次に永代供養墓です。10月6日は好天でした。大志くん一家・萌ちゃん一家に参列してもらい、伸子と父は霊苑で預かってもらったので納骨し、持参した弟と母の納骨をしました。職人の方に墓石を整えてもらい、墓石の布をとりました。
係の方に焼香台を用意してもらい、お供え・お花を置いて、開眼法要です。道子さんにお経をあげてもらい、みんなが焼香して無事に終わりました。

 肩の荷が下りた気持ちです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする