古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

公民館中庭の草刈りをしました。

2019年10月24日 20時31分55秒 | 古希からの田舎暮らし
 明日は老人会の/草刈り作業/昼食交流会/です。草刈りのほうは、おそらく雨でできそうにありませんが、昼食交流会はやります。
 今日は事前の作業として、ナイロンコードで中庭の草刈りをしました。中庭は鋸歯の草刈り機では刈りにくいです。ナイロンコードなら地面にへばりつくように生えている草でも刈ってしまいます。
 老人会長も事前作業にやってきて、裏のゲートボール場(むかしは。いまはただの空き地)の草を刈りました。ここは先日から数回、前前老人会長さんが草刈りをしたところです。前会長も草刈りをしていました。こうしてみると老人会長をした人か、いまの役員(ぼくは会計係)が事前の草刈りをしていました。役員をした人は、こうした催し物があると気をつかって事前に仕事をします。
 でも一般の人は、当日参加するだけです。その参加も少ない。催し物に知らん顔です。そんなんでええんかなあ。任意の団体ではありますけど。
 口吉川町のある村は、老人会の役員にだれもなりたくないので、「休眠する」ことになりました。口吉川の役員会にも出ず、助成金ももらわず、村の老人会活動はゼロにして休眠です。うちの村も「それもありだな」と思うようになりました。
 老人会の行事は、チラシで全会員にお知らせしますが、協力はなかなかです。ぼくは会計係でかれこれ10年になります。長過ぎる。80歳代になって「老人会もそろそろ卒業だな」と思う年頃です。
 あるとき急に、気が抜けて、イヤになることがあります。いきなりそうなっても困るので、こんなことを書いて「ガス抜き」をしています。
 
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人生の「店じまい」について思ったこと

2019年10月24日 02時34分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 親しかった/頼りにしていた/尊敬していた/友だちや縁者や身内の者が、つぎつぎとこの世を去るような年齢にさしかかると、「自分もそろそろ人生の店じまいをしよう」と考えます。
 その「店じまい」は「最後にもう一度……行ってみたい/見ておきたい/会っておきたい/体験しておきたい/食べておきたい …… 」という思考パターンにはまりやすい。
 でも実際やってみると「砂を噛むような虚しさ」を味わうことがよくあります。あるいは自分の人生を振り返って「感慨深いようなポーズ」を自分で演じる。
 ただ言えることは、「その時も、いまも、精いっぱい生きている」。人間という生き物は、いつも精いっぱい生きる。そう思います。

 きのうは、つのぶえの公演を見に、山崎まで出掛けました。どれくらい時間がかかるか心配して、8時までに家を出ました。ところが10時開演というのに、9時前に文化会館に着いてしまい、近くの喫茶店で時間を潰すことになりました。公演のあと白石晴二さんの息子さんにお会いできました。

 家に帰ったら「午後は公民館まわりの草刈りをしよう」と思っていましたが、昼寝しておしまい。
 高齢者は仕事を欲張らないほうがいい。仕事(というか要するに「すること」)は「一日一つ」と考えたほうがいい。「これをして、それからあれをして、次に ……」という思考を卒業したほうがいい。
 と、あらためて思いました。
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