古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

バッテリーの草刈り機を買いました。

2020年05月21日 20時03分44秒 | 古希からの田舎暮らし

 26ccエンジンのマキタの草刈り機でも3万円以下で買えます。しかし、おじいさんは、このたび、それより高価なバッテリーの草刈り機をはり込みました。
 軽い。スイッチを入れるとすぐ動く。草がからんだら逆回転できる。ガソリンの混合オイルをつくらなくてもいい。バッテリーは30分ほどしかもたないけど2個ある。
 30分も働けば十分だ。おじいさんは、長時間働くことはない。鋸歯は23センチ用。いままで(25,5センチ)より小さくなるけど、それくらいがちょうどいい。
 今日はハンドルをつけて、組み立てただけです。明日からの草刈り、山の斜面刈り、がたのしみです。
  
 大豆の種を買いました。兵庫県でよく作られる『サチユタカ』です。水田種苗店でも美嚢園芸店でも大豆の種は「鶴の子」だけませしか置いてません。他は取り寄せになります。早速注文しましたが、サチユタカは1キロ単位でしか売ってません。仕方がないので1キロ買いました。余りそうです。裏山の空き地にも植えることにします。

 
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『井上成美』を読みおわりました。

2020年05月21日 00時46分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 外仕事で〈すること〉はいっぱいありました。天気もよかった。でも、きのうは一日『井上成美』を読んでいました。終りに近づくにつれて、離れにくくなる本でした。
 読みおわって、思うことはいっぱいありますが、一つだけ。驚いた/感動した/でなく、ぼくの思考を越えた部分を引用します。
 引用のまえに、引用文当時の日本の状況を書きます。
 昭和16年12月8日は日本の「開戦記念日」です。日本がアメリカに宣戦布告して、ハワイの真珠湾を攻撃した日です。山本五十六・連合艦隊司令長官は、宣戦布告と同時に真珠湾を攻撃して大戦果をあげました。
 日米交渉で暗雲がたちこめ、重苦しい日々がつづいていました。その暗雲が、大戦果で一気に吹っ飛びました。日本中がわき立ちました。多くの著名人たちも快哉の声をあげました。新聞もラジオも、国民も。戦場に兵士を送っている家家も。愛国少年たちも。
 井上成美は第四艦隊の長官として南洋諸島に出撃していました。少し長くなりますが、そのときの描写から引用します。

 12月8日朝8時、オアフ島北方の南雲機動部隊旗艦・赤城が、無線封鎖を破って戦闘速報を打ち始めた。飛行隊の奇襲成功を確認して約5時間後であった。一方的な戦果が挙っていた。訳了した電文の末尾に「我飛行機損害軽微」とあり、図上演習で全滅の判定を受けた味方艦隊は、全くの無傷らしかった。鹿島(井上が長官をしている第四艦隊の旗艦)の作戦室は色めき立った。
 飯田通信参謀が、それを井上の部屋に届けに行った。待つほどもなく戻って来たが、飯田の様子は何となく変であった。
「どうしたんですか」
「いや。おめでとうございますと申し上げたら、いきなり馬鹿呼ばわりされたんだ」
 皆が黙って顔を見合わせた。長官は、祝意を表する通信参謀個人を馬鹿扱いしたのか、とうとうこんないくさに突入してしまって馬鹿なことだと言ったのか、飯田はあとを語ろうとしないので、よく分からなかった。ともかくそう聞いた以上、幕僚たちは手放しで喜ぶわけには行かなくなった。
 開戦直後実戦部隊の上層部でこういう雰囲気に陥ったところは、多分四艦隊だけであった。前線の将兵はもとより、陸海軍関係者のほとんど、国民の大多数が、緒戦の大戦果に深い感動を味わっていた。
 駐米大使館附武官の横山一郎大佐は、かねて「英米を相手に戦う場合、戦闘に勝つことが出来ても戦争に勝つ見込みは無い」と主張しつづけて来た人だが、ハワ奇襲大成功の報を聞いて胸が一杯になり、異様な嬉しさと爽やかさが身内を走り抜けるのを自分でも不思議に思ったという。
    ※ 原文は旧仮名遣いですが。

 日本の軍隊の中枢部にいた軍人が、このように反応した。その事実に驚きました。小説家の阿川弘之は、この評伝を史実/事実をなぞって書いています。誇張したり、持ち上げたりしていない。この作家は若くして、海軍にいましたから、現場もわかっています。
 そこにこの本の価値がある。軍人の井上成美は、あの開戦の勝利にこのように反応した。
 彼の真っ直ぐ地平線まで伸びる透徹した視線を、どう表現すればいいか。
 読んでよかった。
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