古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

父の『引揚げ記』 (18)

2017年10月24日 03時09分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 台風の被害を調べようと、きのうの朝は軽トラで近くの村を走ってみました。稲刈りのすんでいない田んぼも穂先は大丈夫のようです。うちの畑も大豆、黒豆はなぎ倒されてはいません。傾いていますが。もうすぐ葉が落ち、脱粒するので、このままにしておきます。
 裏山に掘った池は、地下水がプールライナーを持ち上げて、底が浅くなっていました。ポンプでプールライナー下の水をくみ出しました。メダカは元気にしています。


 昭和二十年八月十五日 朝鮮の山奥で (18) ※ 用字、仮名遣いは原文のまま

 私と一緒に山の中に入った校長一家の人々はソ聯兵に捕まったので、皆が自殺してしまったんだ、と云い聞かせてくれた。全く物騒な世の中である。
 その第一高女の管理をしている人に頼んで、伊川の人々と一緒に暮せるようにしてもらった。そしてやっと伊川を出てから初めて平穏無事に暮せるようになったのである。日本人同士、言葉を出せば敗れた日本の事、またこれからの日本のあり方ばかりである。
「日本へは既に米兵が上陸しているという事であるが、日本人達はどんな暮しをしているのであろう。ひどくいじめられているのではあるまいか」
「既に占領されてしまったのであるから、何をされても仕方あるまい。学校も児童も無茶苦茶されているのではあるまいか」
「どうせ日本は食料が不足しているから、こちらから土産に食料を持って帰ってやろうか」
 また或る夫婦の話であるが、引揚げたら夫の家に帰ったらいいとか、いや嫁の実家に行こうとかお互いに云い争っている。どこの家に行ってもどうせ引揚者はきらわれるのであるから、当然の事である。そんな話に花を咲かせながら二、三日過ごした。
 ところが朝鮮にも、米軍が上陸してくるという噂が広まって来た。一刻も早く帰らないと、その米軍に何をされるかわからないと気が焦る。
 指導的立場に立っている人々は総督府に行って交渉したり、警察に行って交渉したりするが、何分にも日本と結ばれている連絡船を動かす事ができないので、どうする事も出来ない。日本人の中には日本の政府を恨む者も出て来た。
「我々がこんなに苦しんでいるのに何もしてくれないのか」
「いや日本は敗けたんだから、どんなに交渉しても幅が利かんのだろう」
 月が変って九月になっても、一向に日本に帰れそうにならない。いよいよ米軍が南朝鮮に上陸して来るという日になって、連絡船が動かせるようになったから、引揚げたい人はその旨申し出るようにという指令があった。
 皆は喜んで引揚げるように申し込む。しかし連絡船に乗る人には人数に制限がある。誰かは残される。残念ながら私はその選にもれて残されることになった。
 引揚げの決った人々は、引揚証明書をもらったり荷物を整理したりして大いに張り切っている。一方後に残されるほんの僅かの人々は全く稍気切って、引揚げの人々をぼんやり眺めているばかりである。米軍は入ってくればどんなことになるかもわからない。或いはもう日本に帰ることができなくなるかもしれない、と心配で一杯である。
ところが その日の夕方になって、残された者も皆引揚げてよいようになったからその準備をするように、という指令が伝えられた。私は躍り上って喜んだ。準備といっても荷物は何もない。ただ輕いリュックが一つあるだけである。翌朝、まだ暗い間に皆起きて、引揚げの準備に掛かる。子供の手を引いたり荷物を負ったりして長い列を作る。そして少しずつ少しずつ歩きながら駅への道を辿った。
 やがて列はやっとプラットホームに出た。どの人もどの人も持てるだけの荷物で体中ふくれ上っている。汽車が到着するとまた大騒ぎである。我先に人を押し退けて汽車に乗り、座る場所を探すのに必死である。窓から荷物を放り込んで、窓から入ろうとする者もいる。幸いに皆が汽車に乗り込む事は出来たが、座る腰掛もなく床にも空地がない。
「女や子供達を座らせろ。男は立つんだ」
 と大声で叫びながら整理をして廻る感心な男があり、その人はそれをそのまま実行させて廻った。だれもが自分の事しか考えないこのどさくさ騒ぎの最中に、これだけの世話ができるのは、実に感心の至りで頭が下がる。
 朝から列に並んで歩き、誰もが何も食べていないので、各人が自分の座につくと早速辨当を開いて食べ始める。今朝第一高女で分けてもらった辨当は、お握りが二つ入っているだけである。この二つのお握りを朝と昼の二度に分けて一つずつしか食べられなかったのである。
 あたりを見ると地べたに座って食べている者、腰を下ろすところのない者は、立ったまま食べている。皆はしゃべりながら愉快に食べている。   (つづく)
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