古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「いつか……してみたい」と思いながら……。

2012年08月15日 04時51分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 数日前アセビの葉をとりに登った裏山のヤマモモの木です。ぼくが木登りをしたように見えますが、1メートル足らず登っただけ。孫のために「この枝にツリーハウスをつくってやろう」と思ったこともありますが、孫は成長するしおじいちゃんは歳をとるので、もう無理でしょう。それにそんな低いツリーハウスでは見向きもされないでしょう。夢のまま終りそうです。そんなことが、ぼくらの人生にはこぼれそうなほどあるんでしょうね。
               
 道子さんが「芙蓉の花が咲いたよ」というので裏の山で写真に収めました。
 新田次郎に『芙蓉の人』という小説があります。明治時代。民間人の野中到が、富士山頂で越冬して気象観測をした話です。新田は妻の野中千代子という明治の女性を描くために、この作品を書きました。千代子は芙蓉の花が好きで、自分の日記を『芙蓉日記』と名付けていたそうです。こんな花だったんですね。しばらく黙って見ていたい。
 大志くんたちが来て鉄板焼きをするというので、うちの畑でとれた野菜も焼きました。ナスビ、ピーマン、タマネギ、ジャガイモ、ニンニク、ニンジン、それにカボチャも収穫して切り、サツマイモも試し掘りして加え、サラダにはトマト、キュウリ、大葉を添え、デザートにスイカを出しました。「畑ってすごいな」と思います。
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はびこる竹薮に挑む気力がほしい。

2012年08月14日 03時56分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう道子さんが「畑のムシ防除のために『アセビ』の葉が欲しい」というので、二人でアルミの脚立を持って裏山に登りました。アセビの葉を煎じた液と『わかば』というタバコを水に浸したニコチンの液を混ぜて、大豆の葉に散布します。効くようです。なぜ『わかば』か。一番安い。昔からあるタバコで、コンビニでは売っています。それを毎年1カートン買って、ムシ防除に使います。
 なぜ脚立か。アセピの低い木はもう葉をとってしまい、高い枝の葉を集めるために。道子さんは夕方、大豆に散布しました。シンクイムシの被害は出ていますが途中でとまっているのは散布が効いているのでしょう。今年道子さんは小豆をつくらないで、大豆のムシ防除に力を入れています。
 ぼくは畑仕事の途中、木の杭に塗る塗料が必要になって、東条のコーナンまで軽トラで買いに行きました。いつものように桾原の信号で左に曲がり、オリエンタルゴルフ場への坂を上り、東条へ下ります。左右の田んぼの先はなだらかな丘ですが、丘は竹薮に縁どられています。その縁が太くなり竹薮が丘の上まで這い上がっているところもあります。
 声にならない声でぼくは嘆息します。「あーあ」
 先日山陰を旅したとき、足立美術館に行く道で盛り上がった竹薮を見ました。「全国どこでも竹薮ははびこってるんだなあ」きのうと同じ嘆息。
 播但有料道路の『朝来』パーキングエリアでも同じ嘆息。2年ほど前のことです。コーヒーを飲むカウンターがあり、ガラス越しに向かいの山が見えます。その山を「田舎の家と裏山か。のどかだなー」と見るか。「竹が山頂まで盛り上がって生えてる。凄い勢いだ」と見るか。(いまは竹薮が討伐されてふつうの里山になっているかもしれません。ぼくには「はびこる竹薮」というとあの眺めがイメージとして浮かぶのです)
 きのう裏山に上りながら、2年前に一本残さず竹を切り倒した左の竹薮に、相当びっしり竹が生えているのを見ました。驚くことではありませんし、2年前に切ったことを徒労とも思いませんが、ため息はつきたくなります。
 よく田舎暮らしのテレビ番組があり、田舎の景色が写っています。そんなとき「竹薮」を意識して景色を見てください。全国どこでも竹薮がはびこっています。「野良竹」という呼び方をしているブログがあります。野良犬や野良猫にしないで責任を持って育てるように、竹も管理できたらよかった。でもいまではもう個人の手におえなくなっています。そんな気持ちを静めるためにまた竹を切ろうと思っています。
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お孫さんが帰省してくるお盆ですね。ごくろうさまです。

2012年08月10日 00時09分31秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 おじいちゃん・おばあちゃんが孫たちをあずかって5日目。きょうは家の周辺では種が尽きたので東条図書館の学習室で宿題をすることにしました。ふだんは5人も来館者がおればいいのに、夏休みで子どもたちが来ています。学習室でも5、6人の子どもが勉強しています。
               
 そこで大志くん・萌ちゃんも宿題をしようと席についた写真です。ただし大志くんはこの後すぐおじいちゃん・おばあちゃんのほうに来てしまい、5分もちませんでした。そこで大志くんには別室で絵本を読んであげ、萌ちゃんの勉強が終るのを待って、昼食はジャスコまで行ってレストランで食べました。いろいろと注文のある食事づくりに道子さんも疲れたので。
 午後はまたウッドデッキでビニールプールに入ったり、シャボン玉遊びをしたり、借りてきた絵本を読み、昼寝もして、なんとか夕方になりました。夕食後花火をしていたらやっとお父さん・お母さんたちがむかえに来てくれました。めでたしめでたし。
 

 このブログでは2010年の年末に『よいお年を!』と題して「孫」にまつわる川柳を紹介しています。(2010年12月30日のブログ)もうすぐお盆です。お孫さんたちが帰省するお宅もあるのでしょう。そこで一服の清涼剤にしていただこうと、川柳を再掲します。

 柏木哲夫『ベッドサイドのユーモア学』という本から写しました。
 
   入れ歯見て  目もはずしてと  孫せがむ   (ハッスル爺さん)
   
   孫一人  これだけ話が  はずむとは     (富田林 春樹)
 
   運動会  一人の孫に  三家族        (新宮 船越 雅司)

   どうしても  自分に似せたい  孫の顔    (東京 中村 健彦)
   
   もしかして  遊んでくれる  孫だろか    (出雲 板倉 克巳)

   見ない振り  してると泣かぬ  転んだ子   (大村 河野 陽介)

   来るときと  同じ嬉さ  孫帰る       (東京 手塚 銀平)

   来て嬉し  帰って嬉し  孫五人       
   
   オシッコと  さも偉そうに  告げる孫 

 我が家では孫の成長で、こんな川柳の世界が遠くなってきました。次は『エンディング・ノート』のことにでも関心を向けるとしようかな。そうそう、母・妙子さんは4泊5日のショートステイからきょう帰宅しました。帰ると早速家のまわりの草抜きをしています。
 なおアライグマはかかりませんでした。   

   
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じじ・ばばと孫の夏休み - はあしたも。

2012年08月09日 03時59分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 田舎のおじいちゃん・おばあちゃんは、手を変え品を変えて孫の夏休みのお相手をしていますが、きのうの午後は龍神さんにお参りしました。ふだん何か「お願い」があると、おじいちゃん・おばあちゃんの二人で龍神さんにお頼みするのですが、きのうは孫たちも加わり、お参りする側もスピリチュアル・パワーをアップ。
                
 いつものように卵を供え、清めの塩とお酒を池にそそぎ、大池・佐の広池・福地池・蛇ガ池・施無池を軽自動車に乗ってまわりました。セレモニーは、不動明王の真言「のうまくさんまんだ……」を三回唱えました。思いつきの我流の拝み方です。孫たちは、夏休みに龍神を拝んだことを、大きくなっても覚えているでしょうか。
                
 道子さんは、孫たちに鎌の使い方を教えて、夕方は畑の草取りを孫に手伝ってもらいました。畝間にはスベリヒユがびっしり生えています。大志くんと萌ちゃんはその畝間にとりついて鎌を使ってきれいにしてくれました。写真手前は大志くんが鎌で削った草の山で、畝の向こう側は萌ちゃんです。
 道子さんは大豆・黒豆のムシ防除、ゴマのムシ退治などムシ対策に苦労しています。ぼくは水栓に太いホースをつないで畝間潅水をしました。いつもは「畝間を流して水が向こうに達したら止める」流し方ですが、こんなにカンカン照りの日が続くとすぐ干上がってしまいます。
 そこできのうは水深10センチ超になるまで水をためる潅水をしました。まず土をかき寄せて畝の両端に堰(せき)をつくり、それから水を入れるのです。3~5分で水は向こうまで行きますが、ためるとなると10分はかかります。それを6畝間。いま大豆は花が咲いており水が必要です。これで一週間は大丈夫でしょう。
 孫たちが「おじいちゃん、アライグマの写真見せて」というのでネットで検索して見せてやりました。でもできればホンモノのアライグマを見せてやりたい。そこできのうは特上の餌を用意し、場所もサツマイモの横に変えて、檻を仕掛けました。アライグマよ、かかれ!
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孫たちの夏休みでー、『じじ・ばば』は大奮闘中です。

2012年08月06日 21時24分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 孫たちが親元を離れて数泊することになりました。『じじ・ばば』は頑張ります。
 大志くんも小学生になったのだから、行水のタライみたいなプールでは遊べないだろうと、大きくて水深のあるビニールプールを用意しました。写真のように体を浮かせることができます。朝から水をためて日なた水にしておき(風呂よりずっとたくさん水がはいる)、ひとしきり遊んでくれました。
 朝は、うちの村の「夏のラジオ体操」はもうおしまいなので、テレビを見ながらじじばばといっしょに、リビングで体操をしました。それからウッドデッキでパンの朝食。片付けてから夏休みの宿題。
                
 午後はショートステイに行っている「ひいおばあちゃん」を訪問しました。きれいな個室です。ひいおばあちゃんとチェリーを食べてちょっとおしゃべりしました。買物をして帰り、夕方は畑仕事です。大志くんも萌ちゃんも水やりを手伝い、結構ドロドロになりました。
 夕食後は花火です。ウッドデッキにベニヤ板を二枚敷き、その上で花火をしました。二人とも音のする、打ち上げの花火は嫌いなので、たくさんのおだやかな花火を手に持って楽しみました。これから絵本を読んで寝ます。大志くんは親元をはじめて離れるのですが、萌ちゃんがこまやかな気づかいをしてくれてたのしく過ごしています。
 じじばばは、あれこれない智恵をしぼって奮闘しています。
 
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『ビルマ決戦記』を読んでいます。

2012年08月06日 04時18分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 三木と東条の図書館で何冊かずつ本を借りていますが、それは読まないで『ビルマ決戦記』を夜中に目覚めたとき少しずつ読んでいます。この本にふれて自分の思いを書きます。
 この本は光人社NF文庫の1冊で、「地獄の山野に展開した三十四万将兵の肉弾戦」という副題になっており、著者は<越智春海>という人です。この著者は大正7年生れで、自分が兵士としてマレーやシンガポールなどで戦った人ですが、ビルマ戦の体験はありません。多くの資料を見て、後で書いた本です。ぼくがこの本のことを書くのは、読んでほしいからではありません。
『インパール作戦』というと無茶苦茶な作戦を引っ張った『牟田口廉也』中将という指揮官にぼくは腹が立ちますが、いまの人はそんな感情の波風は、もう立たないでしょう。昭和19年(1944年)の、70年近く前の戦争であった、遠い遠い昔のことですから。
 実際に『インパール作戦』に狩り出された兵士の方々が、『牟田口廉也』という指揮官の名前を聞いてどんな風に反応するかは、以前このブログでも保阪正康氏の著書から引用しました。
 この本にはインパール作戦発案の様子が以下のように書かれています。長い引用になりますが。


 昭和18年11月6日の大東亜会議(※ 東条首相は戦局挽回のためにアジア各国の協力をとりつけようと東京で会議を開いた。この年の10月には学徒動員で大学生も戦争に兵士として狩り出した)の席上、各国の大統領や首相の面前で、東条首相はチャンドラ・ボースに「インドは、さし上げます」と、大見栄をいっている。
 しかし東条首相は、なぜ進攻作戦をやりたかったのだろう。戦術上は、ほとんど絶望的なことぐらい、見当はついていただろうに……。
 東条内閣については当初から、重臣たちはみな反感を抱いており、近衛文麿などは終始一貫「戦争の責任者は登場だ!」と言っていた。そういうムードだから、機会があれば倒閣の密議をしていたのだ。そういう動きの中で、刻々と太平洋の戦況は悪化して、国民の志気は沈滞しており、東条内閣の命脈は風前の灯火だった。東条首相自身は、総辞職すれば大いに楽になるのだが、それでは対外的にも対内的にも日本の配色を証明するようなものだから、それはできないのだ。
 このような複雑な状況のなかで、何かビッグ・ニュースを! という「あせり」から、インパール攻略が浮上してきたのだ。成功すれば内閣の余命は延びる。少なくとも作戦継続中だけは、倒閣の動きはしないだろう。もちろん失敗すれば、東条内閣は、つぶれてしまうだろうが、どうせ何もしなければ、倒閣される実情だから、もともとなのだ …… というわけだ。
 では、なぜビルマの戦場が選ばれたのか。次々と陥落しているのは、みな太平洋上の戦場ばかりで、海軍の劣勢という絶対的な不利があった。東条大将は陸軍軍人で、帝国陸軍は世界無比の陸軍だとう信念の持ち主の一人だ。陸軍だけで戦闘をやれば、まだまだ負けはしないのに、という思いも潜在していたはずである。こうしてビルマが戦場に選ばれたのだ。
 じつは、相当重要なことが、もう一つあるのだ。当時の陸軍内部は派閥で動く者が多かった。また派閥を越えて、何かの機会に親密な仲になって、同志というような交わりを一生、つづける気風も強かった。東条英機・河辺正三・牟田口廉也といえば、日支事変勃発当時、戦線を一路拡大した三羽烏だ。『森』軍司令官の河辺。(※ 『森』は軍隊編成上の名前。南方軍総司令官だから南アジアの戦争全体を指揮できる立場だった)
『林』軍司令官の牟田口。(※ 『林』は軍隊編成上の名前。ビルマ方面軍の総司令官だからビルマの戦争を指揮できる立場だった)このコンビが、東条内閣の命脈をつなぐために、狂気のように立ち回っているのがインパール作戦ではなかったか。
 この作戦に対する批判は、もちろん陸軍内部のいたる所にあった。いつとりやめになるかわかったものではない。せっかく牟田口中将をダシにして、作戦決行という段取りまで持っていったのに、統帥府が中止してしまえば、首相兼陸相の東条大将には、それを阻止する権能がなかった。
 昭和19年2月21日、ついに東条陸相は、参謀総長をも兼任するという、前代未聞の処置を強行した。インパール作戦の発起は、その15日後であった。
 昭和19年7月4日、 インパール作戦中止。東条内閣の総辞職はその14日後の7月18日であった。
 
 著者の、自分の推論や考えに合わせる書き方ですが、一つの見方として引用しました。 

 
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サツマイモに動物ネットをかぶせました。

2012年08月04日 05時56分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 サツマイモは10メートル畝が6畝ありますが、これをアライグマから守るとなると全部を動物ネットでおおうしかありません。去年は低い杭を打ってマイカ線を張り、それに動物ネットをかぶせました。そして朝晩そのネットをめくったりおおったりしました。
 しかし動物ネットですから、少し高いところに張れば、めくったりおおったりする必要はなくなり、掘るときにネット内に入ればいい。そこで杭を打って130センチの竹をビス止めし、マイカ線を張ってそれに動物ネットを張りました。柱にピンクタイガーをつけたのはおまけ。今年は草抜きができてますから、8月はこのままにしておきます。多少草が伸びてもサツマイモの葉も繁るから大丈夫。あまり乾燥がひどければ、ネットの上から45ミリホースで水を撒くか畝間潅水をします。
                
 このブログでは毎度おなじみの『クロメンガタスズメ』蛾の幼虫です。(給水栓のフタの上に置き、フラッシュで撮りました)すべての幼虫の中でこの幼虫は一番存在感があります。単三電池より太く、長さは10センチ超。「虫めずる姫ぎみ」なら涙を流してよろこびそうな堂々たる幼虫で、ゴマの葉につきます。素手でつかむのはやめたほうがいいかも。そういわれなくてもためらいますが。いろんなブログを見ると、この幼虫は「咬む」とか「鳴く」と書いてあります。ぼくは確かめてません。《 you tube 》にはこの幼虫の動画がアップしてあり、人間はこの幼虫に相当な畏敬の念を持っているようです。
 なおこの蛾がさらに成長すると地中でサナギになります。そのサナギがまた赤く、見た目にも毒々しい感じで、手でつかむと「びくっ!」と動き、背中が「ぞくっ!」とします。そして蛾になるのですが、ぼくはクロメンガタスズメ蛾は見たことがありません。人のブログには「人面蛾」とか「髑髏蛾」(どくろが)と書いてありますから似ているのでしょう。でもおそらく幼虫やサナギほどの存在感・迫力はないと思います。
 なおこの幼虫は撮影後ゴマの葉にくっつけてとなりの土手に移動してもらいました。踏み潰す勇気がなかったものですから。トンビやカラスだったら食べるでしょうか。ニワトリが見つけたら食べるでしょうか。ムカデは食いつくのでしょうか。えらいなー。
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アライグマがカボチャを食い荒らしました。

2012年08月01日 04時08分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
              
 今年は土手に這わせるつもりでカボチャを植えました。カボチャは15本とも順調に伸びて、土手で実をつけつつあります。しかし最初になったカボチャが爪のようなもので傷つけられていたので、犯人はアライグマと見当をつけて防鳥ネットでおおいました。ところがきのうの朝畑に行ってみたらカボチャに異変が。一番大きなカボチャなど数個が食い荒らしています。
 防鳥ネットをくぐって入ったか。細い糸のネットなので引きちぎって入ったか。赤いネットですからいくら夜行性のアライグマでも夜は見えなかったでしょう。ネットに体がふれてもカボチャに突進した。としか考えられません。前夜ラジオもぶら下げましたから深夜放送が聞こえてたはずです。
 ラジオも駄目。防鳥ネットも駄目か。
 これではすぐにもサツマイモやスイカが食い荒らされます。早急に対応しなければなりません。
 でー、やったことはまず『ピンク・タイガー』を2匹、ホームセンター・ナフコで買いました。一昨年2匹買ったタイガーはピンク色が黄色に変色しましたが、いまも畑でアライグマににらみをきかせてます。(と思ってます)そこで仲間を呼んで「にらみ」を補強したのです。
              
 次にまわりに垂らしただけだった防鳥ネットを地面に「トンボ」(ビニールシートの止め具)を挿して止めました。これでくぐろうとしても多少抵抗があるはずです。さらに地上1メートルには丈夫な動物ネットを張るつもりです。
 サツマイモはどうするか。アライグマはカボチャなんかよりサツマイモが好きです。去年は一畝半が食い荒らされ、動物ネットを毎晩かぶせました。今年も動物ネットで囲います。
 そしてなにより捕獲です。市の農業振興課で捕獲器を借りました。餌もジャスコで購入。きのうは暗くなってしまいましたが、きょうは立派に仕掛けるつもりです。
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