先日、NHKハイビジョンで放送した名曲探偵アマデウスで
ブルックナーの交響曲第7番ホ長調が取り上げられていました。
この番組にしてはかなり渋い選曲です。
この曲を聴くとなぜか眠くなる・・・という切り口で
ブルックナーの交響曲の特徴と魅力が紹介されていました。
主題がどれも長くしかも途中で何度も転調を繰り返す。
(逆に言うと)何度も転調するため基の調に戻るまで時間がかかる。
それ故、初めて聴く人はどこへ行くのか先がわからず、
退屈に感じてしまう・・・。
しかし、一度理解した者は、その長さを快く感じ、
ブルックナーの巨大な音楽に身を任せる・・・
動機の繰り返しを多用しながら徐々に高揚していき、
やがて壮絶な頂点に達する・・・というのも同様です。
今までブルックナーの音楽の魅力をうまく説明できませんでしたが、
なるほどなあ、と思いました。
以前にも書きましたが、N響首席オーボエ奏者の茂木大輔さんは
ブルックナーの交響曲を「シンフォニー・オーケストラの目標の一つ」
と著作の中で語っています。
ある評論家は、
「ブルックナーの音楽は他の作曲家の作品と決定的に違う」
と言っています。
またある評論家は、
この第7番について「こんな曲がほかにあるだろうか」
と書いています。
言葉は違えど、皆同じ気持ちなのではと感じます。
長い西洋音楽の歴史の中で、
多くの偉大な作曲家たちがき築き上げ、磨き上げてきたもの・・・。
ブルックナーの交響曲群はその一つの"極み"にあるのではないか、
そんなことを考えてしまいます。
最初に書き上げた「初稿」も、いくつもの改訂稿も含めて
その「全て」が巨大な山脈を形作っている・・・
音楽に限らず、小説でも絵画でも、
それをどのように鑑賞し、何を感じるかは人それぞれです。
そしてその感じ方に「良い(感じ方)/悪い(感じ方)」はありません。
クラシック音楽を聴いているから"偉い"わけでもなく、
ブルックナーを愛聴する人だけが"真のクラシックファン"なわけでもありません。
そのような意味ではなく、でも(何らかの意味で)
ブルックナーの交響曲は一つの「試金石」であるような気がします。
決して器用ではなく(むしろ不器用)、
同時代の指揮者や弟子達からも、いろいろ「ダメ出し」をされて
その度に何度も何度も作品を修正して、それでも中々認められない。
そうやって残された作品群に私達はこんなにも心を震わせる・・・
"そこ"にあるのは一体なんなのでしょう。
ブルックナーの交響曲第7番ホ長調が取り上げられていました。
この番組にしてはかなり渋い選曲です。
この曲を聴くとなぜか眠くなる・・・という切り口で
ブルックナーの交響曲の特徴と魅力が紹介されていました。
主題がどれも長くしかも途中で何度も転調を繰り返す。
(逆に言うと)何度も転調するため基の調に戻るまで時間がかかる。
それ故、初めて聴く人はどこへ行くのか先がわからず、
退屈に感じてしまう・・・。
しかし、一度理解した者は、その長さを快く感じ、
ブルックナーの巨大な音楽に身を任せる・・・
動機の繰り返しを多用しながら徐々に高揚していき、
やがて壮絶な頂点に達する・・・というのも同様です。
今までブルックナーの音楽の魅力をうまく説明できませんでしたが、
なるほどなあ、と思いました。
以前にも書きましたが、N響首席オーボエ奏者の茂木大輔さんは
ブルックナーの交響曲を「シンフォニー・オーケストラの目標の一つ」
と著作の中で語っています。
ある評論家は、
「ブルックナーの音楽は他の作曲家の作品と決定的に違う」
と言っています。
またある評論家は、
この第7番について「こんな曲がほかにあるだろうか」
と書いています。
言葉は違えど、皆同じ気持ちなのではと感じます。
長い西洋音楽の歴史の中で、
多くの偉大な作曲家たちがき築き上げ、磨き上げてきたもの・・・。
ブルックナーの交響曲群はその一つの"極み"にあるのではないか、
そんなことを考えてしまいます。
最初に書き上げた「初稿」も、いくつもの改訂稿も含めて
その「全て」が巨大な山脈を形作っている・・・
音楽に限らず、小説でも絵画でも、
それをどのように鑑賞し、何を感じるかは人それぞれです。
そしてその感じ方に「良い(感じ方)/悪い(感じ方)」はありません。
クラシック音楽を聴いているから"偉い"わけでもなく、
ブルックナーを愛聴する人だけが"真のクラシックファン"なわけでもありません。
そのような意味ではなく、でも(何らかの意味で)
ブルックナーの交響曲は一つの「試金石」であるような気がします。
決して器用ではなく(むしろ不器用)、
同時代の指揮者や弟子達からも、いろいろ「ダメ出し」をされて
その度に何度も何度も作品を修正して、それでも中々認められない。
そうやって残された作品群に私達はこんなにも心を震わせる・・・
"そこ"にあるのは一体なんなのでしょう。