前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

ブルックナーの交響曲を聴く醍醐味

2011-02-09 22:14:24 | クラシック音楽
ブルックナーの交響曲についてもう少し・・・。


 ブルックナーの交響曲を聴く醍醐味を一つだけ示せと言われたら
 クナッパーツブッシュ指揮、ミュンヘン・フィル演奏の
 交響曲第8番第4楽章のコーダを挙げる・・・


永い間愛読していた、クラシックの名曲名盤紹介本の中で、
ある評論家がこんなコメントを書いていました。


その"真意"の程は私にはわかりませんが、
確かに上記の演奏には他にはない魅力を私も感じます。
事実、交響曲第8番でもっとも頻繁に聴くのは同盤です。

ヴァイオリンの幽かな上昇音型の中、テノールテューバの旋律が出てくるところは、
いつもゴヤの『巨人』という絵を思い出します。
地の底からゆっくりとその姿を現してくるような・・・


(近年、弟子の作との報告書が・・・)

徐々に音量が増していく中、しかしクナッパーツブッシュは爆発をギリギリまで延ばし、
トロンボーンの咆哮で全てが音で満たされます。



しかし、最近はこの第8番のコーダ以上に
交響曲第3番「初稿」(第一稿版)の第1楽章冒頭こそが
ブルックナーの交響曲を聴く醍醐味を最も表しているのでは、と思うようになりました。


弦楽器の蠢きの中、彼方からトランペットが奏でる主題が幽かに聴こえ、
それをホルンが引き継ぎます。
管楽器同士の掛け合いが繰り返されながら徐々に音量を増していき、
やがてホルティッシモに達しますが「初稿」でのそこまでの息の長さ!

まるで濃い霧や靄の中から巨大な山脈が、あるいは大伽藍が姿を現すような
いや、巨神のゆっくりとした足音が徐々に近づいてきて、
その全貌を見せるような"神々しさ"、"畏怖"さえ感じさせる始まりです。


その巨神は、ブルックナーにとって神の如き存在だったワーグナーでしょうか?
それともブルックナー自身の姿でしょうか?


エーザー版やノヴァーク版に比べて、確かに初稿は混沌としていますが、
逆にそこが、なかなか全貌を捉えきれないこの曲の巨大さを感じさせます。

他の作曲家の作品、
例えばシベリウスのヴァイオリン協奏曲や交響曲第5番など、
現行版と初稿を比較すれば、当然、現行版の方が纏まっています。
(最初に現行版に馴染んでいるというのもありますが・・・)

ブルックナーも基本的には同じなのですが、この交響曲第3番の第1楽章は
単に交響曲の一つの楽章ではなく、この楽章だけで「単独の曲」、
この曲だけで"ブルックナーそのもの"を表しているかのようです。


その瞬間、「ブルックナー宇宙」に引き込まれます。
コメント
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