老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

690;食べたいものを食べさせた方がいい・・・・

2018-03-26 00:32:16 | 老いの光影 第2章
食べたいものを食べさせた方がいい・・・・

入院が長引き
あと7日間もつかどうか
生命の終止符は神様しかわからない
食事制限があった患者に対し
医師は家族に話す

本人が飲みたいだけ水を飲ませたり
食べたいものを食べたいだけ食べさせてもいいです
と、話されても
体力が弱ってきているだけに
そうそうは食べたくても食べれない

意志や体力が衰弱する前に
食べたいもの飲みたいものを
口にさせなければ意味がない

あなたは死期が近づいたとき
最後に何を食べたいですか

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688;誤嚥性肺炎により搬送入院

2018-03-25 19:02:36 | 老いの光影 第2章
誤嚥性肺炎により搬送入院

日曜日の朝と言っても
9時44分にスマホが鳴った
出てみると
一昨日介護施設から帰り
今日施設に戻る予定だった
加納屋邦一(88歳)は寝ている状態で
話しかけても起きない
昨夜嘔吐があった、多量の下痢や柔らか便もあった
脈が70のときもあるが50しかないときもある
迎えにいかれたショートの吉川生活相談員から話を受ける
吉川相談員は施設に連れて帰りたくなく
雰囲気的に(救急車を呼び)入院をさせたがっていた
状態がわるく医師の判断により入院は決まるにしても
救急隊が駆け付けたとき
本人の状態を正確に伝えるには
必要な数値も把握せねばならない

邦一さんの場合は、在宅よりも施設で生活されている時間は長く
月に28日から29日間、連続で施設に居る
2泊3日の超短い在宅生活よりも
施設の方が彼の状態を知っているはず
普段から不安定であれば、
バイタルチェックができる道具をバッグに入れ持参するくらいでない、と

SpO2が測定できるパルスオキシメータを持ち駆けつける途中
長女より「救急車を呼び、いま自宅前に救急車が着いた」と電話を受けた
5分後に到着 搬送先の病院が決まらず

私は邦一の長男(県都で脳外科医をされている)に電話をいれた
搬送先の病院が決まった。
診察の結果 誤嚥性肺炎で入院となった
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687;蝉の如く生きる

2018-03-24 04:15:30 | 老いの光影 第2章

蝉の如く生きる

39人の要介護老人
いま私が担当させて頂き
毎月在宅訪問する

2番目に若い南野幸一さん(70歳)
職人気質で塗装業(自営)を営んできた
景気がよかったときは
老後のことは頭に浮かばず
国民年金、納めたり、納めなかったりで
基礎年金の受け取り額は思いのほか少なく
夫の介護をしながら
昼間 蕎麦屋でパートをしている妻

幸一さんは
酒豪であった
いまは一滴も飲めない
歩くことができず
24時間介護用ベッドの上に
蝉の如く
ジッと張り付いている
市営住宅3階に住み
南向きの窓がある部屋から
風景が見えることが最高

幸一さんは
インスリン注射の他に
フォーレ挿入があり
毎週1回訪問看護師が訪れている
皮膚が爛れやすい

体格もよく老いた妻一人ではお風呂に入れることはできず
これも週1回訪問入浴がある
3階まで浴槽を運び
簡易タイプの浴槽を設置しお湯を張る
看護師を含めた3人のスタッフ
本当に頭が下がる

昼間妻が働いている間は
ヘルパーは13時と16時の2回訪れ おむつ交換
月に12回程休みがある妻は(休みのときはヘルパーは訪れない)
(妻は休むことなく在宅介護とパート)
自転車で近くのスーパーへ買い物に行くだけであり
それ以外は夫の介護
68歳になる

妻やヘルパーがいないとき
夫は
紙おむつに手を入れ
便を弄りこねりまわし
パジャマ、シーツ、ベッドなどは便まみれ
勿論爪の間にもしっかりと入り込み大変
泪が出てしまう
また紙おむつを外し下半身裸のときもある

エアマットがあり
3つの訪問セット(訪問看護 訪問入浴 訪問介護)のお蔭で
床ずれもなく
日夜 天井や風景を眺めながら
ジッと生きている
来る日も来る日も寝たきりの生活
何を想うか

訪問の度
言葉をかけると
にっこりと笑うだけの彼
これからは遠くに映える桜を眺め見る
幸一さんにも春が来た




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684;胸が苦しく湿布を張った93歳の爺様

2018-03-23 05:03:24 | 老いの光影 第2章
愛車 在宅訪問のときに活躍しているキャンバス 昨年12月18日から運転

胸が苦しく湿布を張った93歳の爺様

今年は介護保険制度が大きく変わり
介護サービス事業所対象に
県介護保険室からその説明会(集団指導)があった

その席上で知り合いのヘルパーに会い
93歳の菅原文治さん(仮名)は
「入院することに同意したよ」と情報提供を受けた
16時に説明会は終わり
私はまっすぐその足で文治さんの家を訪問

文治さんはいつも自分が坐っている場所ではない処で
炬燵の蒲団を被り左側臥位になって休んでいた
声をかける
「辛くないかい、胸苦しいないかい」
「いつもより胸は苦しい、苦しいので湿布薬を貼った。大丈夫~」

湿布薬を貼るほどだからよほど辛い、苦しい
彼の表情から感じた
手元にパルスオキシメータがなかったので
今日仕事が休みで自宅に居る妻に電話をかけ
パルスオキシメータを持ってきて欲しいと頼む
10分後に妻は到着

パルスオキシメーターで測定すると「72」
再度測定しても「78」の数字
これでは呼吸も苦しく
彼が湿布薬を貼ったのも頷ける

本人に「もう心臓が疲れ切って このままだと
家で暮らすこともできなくなっちゃう
救急車を呼ぼう~」
「入院しよう」と、

彼は頷き同意した

傍にいた長男夫婦、慌てていた様子だったので
長男には救急車の依頼を
長男嫁には保険証、薬手帳の用意をお願いした

文治さんは
急性心不全、腎不全、糖尿病、高血圧症の疾病があり
両手はグローブのように浮腫があり、角にあたると破れ「浸出液」がどっと流れそうな状態
両足にも浮腫があり
かかりつけ医からは入院を勧められていた
それでも自宅で妻と暮らしていたい、と
ここ一月ばかり近く自宅に居た

93歳の老いた妻と
救急車を見送り入院となった
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683;介護と育児の混同(1)

2018-03-22 05:35:08 | 老いの光影 第2章
介護と育児の混同

80歳代後半、90歳代の老夫婦
夫が脳卒中後遺症や骨折後遺症などにより
要介護状態になったとき
老夫は「できる」のに
老妻は必要以上に「手をかけ」てしまう
何もできなくなった夫は
大きくなった赤ん坊であり
老妻が世話をしなければ、と思ってしまう
赤ん坊とは違い
身体も大きくなり思うように動いてはくれないだけに
老妻の身体への負担は大きく疲労も溜まる



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676;格差社会に喘ぎながらも「生きる人」

2018-03-19 01:48:41 | 老いの光影 第2章
格差社会に喘ぎながらも「生きる人」

人生いろいろ(色々)
12色のくれよんで自分の人生を描いたら
どんな色合いになるか

私自身まだこうして生きている、が
50代後半に大きな躓きを経験し
人生の憂き目に遭った
死んだとき妻に遺す生命保険も無く
貯金も無い
年金は雀の泪よりは多いけれど
健康で文化的な最低限度の生活を暮らすには足りず
生活保護受給対象にはならず
市町村税非課税世帯とはなり貧困世帯の仲間入り
65歳になり介護保険被保険者証が届き
(身体障害者手帳1級であることから)後期高齢者医療保険被保険者証の対象ともなった

しかし少ない年金額から
介護保険料、後期高齢者医療保険料は容赦なく通帳から引かれ
年金額は更に痩せ細る

働かねば喰うてはいけず
介護相談や介護計画作成などの仕事に従事できることに感謝

慢性疾患を抱えている吾身
無いないづくしの私
入院費用を持ち合わせていない
疾病保険、生命保険もかけていない
72歳まで「健康」「元気」で働き終えたとき
8桁になる数字の借入金やリース料を完済できる
こうしていま働けることに「感謝」し
上を見すぎると烏から糞をかけられてしまうから
上を見ず前を見る
格差社会にあるけど
死ぬまで「生きる」
無いないづくしで財産も無く名も無い村民だけれど
いま自分がしたいことができる
それだけで幸せ
私が死ぬときに遺るものは
「ひとりの妻と一匹のビーグル犬、他には何もない」
でも「負債だけは遺さず返したい(完済するまで生きる)」

金のある人は
病気でなくても
人間ドックに入り
健康チェックができ
早期発見早期治療ができる

金のない老人は
4人部屋 6人部屋の病室(なかには8人病室もある)で
寝たきりのまま
口腔ケアはなされず
口腔内は粘々の糸が引き、蜘蛛が棲むような有様
肘膝は拘縮し 胎内にいるときと同じような姿勢
手足が「く」の字に曲がってしまうと
棺桶の蓋が閉まらず
祭壇の裏側で「ポキポキ」と四肢の骨を折ることで
棺桶の蓋が閉まる

良い看護、あるいは介護とは
四肢を折らずに棺桶の蓋を閉めれる身体にすること

安らかに眠りに辿り着く
そんな介護をめざしていきたい
どんな老いを迎え
どんな死を迎えたいか
65歳になり介護保険被保険者証を手にしたときから
考えねばならないテーマである
誰もが平等に老い病み死ぬのである

何だか暗いblogになってしまった
でも人生いろいろです






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675;老人と病院(3)

2018-03-18 05:54:12 | 老いの光影 第2章
老人と病院(3)

ナイティンゲールは、『看護覚え書』のなかで、病気は回復過程であり、看護はその回復過程を助けるべきものである。

地球もいま病んでいる
その惑星に棲む人間も病む人は
文明が発展しない前の時代に比べ増えている

人は病み 
日常生活や仕事に支障がでるほど病むと
入院となる
社会から隔離された病院

「看護は病気の回復過程を助ける」
「病気」という言葉を「病む人」或は「人間」に置き換えてみる
「看護は病む人(人間)の回復過程を助ける」

肺炎は完治したが「寝たきり」の状態で退院した
これでは、病む人の回復過程を助けたことにはならず
これから在宅では老いた配偶者や嫁等が
寝たきり老人の介護が待ち受けている

病気を看て人を見ない看護(医療)がそこにある
批判は簡単
自分で食べれなくなった老人
入院前は歩けていたのに退院時は歩けなくなり車いす
眼は虚ろ認知症状も進み意欲もなくなった
人間回復どころか、人間喪失となり家に帰る
重度の要介護老人となり 介護費が嵩む

治療の効果があらわれ、1日1,2本の点滴や注射、検査の状態となったときには
退院に向けた看護(ケア)が必要である
家庭復帰に向け 食事や排せつ、着脱、入浴、歩行などの日常生活行為(日常生活動作)が
どこまで「できる」のか
「できる」こと「できない」ことを整理し
「できない」ところのなかで、看護(ケア)により「できる」こともある
「できない」ところはどこか。その場合はどう支援したらよいか

病院は老人患者が多い
超高齢社会の反映
退院が近づいた老人患者は
家庭復帰支援病棟をつくる
そこには看護師のほかに理学療法士、作業療法士、言語療法士そして介護員
外部からはケアマネジャーが加わり、退院に向けてのケースカンファレンスを持つ

退院に向けてのケースカンファレンスは
実際にもたれてはいるが
要介護度が重くなった状態で
どうするかの話しあいになってしまっている

老人看護は今日の医療や看護のありかたを見つめ直す(治す)ことに繋がるのでは
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674;老人と病院 (2)

2018-03-17 17:32:30 | 老いの光影 第2章
玄人の医療職が治せず 素人の介護職が治す

退院した91歳の嶋倉千代子さんの状態

退院のとき看護師から渡された退院情報書によると
食事  全介助で全粥 キザミ
移動  介助で車いす
入浴  清拭
排せつ 常時オムツで全介助

3月13日の10時に退院し
その日16時にヘルパー、デイサービスの生活相談員、福祉用具専門相談員とケアマネジャーが
千代子さんの家に駆けつけ、これからどう支援していったらよいのか
本人と介護者である長男を交え話し合いを行った

介護用ベッド、生活リハビリテーブル(車いすや椅子に座り、食卓テーブル代わりに使う)、車いすを
福祉用具として借りた(福祉用具貸与)

ベッドに寝ていた千代子さんを真中に
彼女を起し、端坐位にさせてみた(ベッドの端に坐った状態)
そしたら後ろに倒れることなく坐れた           【息子吃驚! 座れる】
彼女の前に生活リハビリテーブルを置き、お茶を置いた
彼女は湯飲み茶わんを手にとり飲んだ           【皆 お茶飲んだ!】
次に彼女を立たせたら つかまり立ちができ
彼女の両肘をつかみ、手引き歩行をした。 寝室から居間まで8m位歩いた
まったくの寝たきりではないないことがわかった

翌日からデイサービス(10名定員の小規模デイサービス)を利用
自宅の玄関から車までとデイサービスの門扉から玄関まで(30mはある)手引き歩行する 車いす不用
紙ぱんつを穿いていても、トイレで排せつ介助 運よく排尿あり
本人は尿意があるかないか、それはわからなくても、またオシッコが出ても出なくても 洋式便器に坐る
例えオシッコがでなくても、それは空振りではない
トイレに行き洋式便器に坐るには
トイレまで歩いて行き、手すりにつかまり立ち 手すりにつかまりながら屈む
用足しが終われば 手すりにつかまり立ち上がる 立位保持の間に紙パンツやズボンをあげる
どうです トイレでしっかりと立ち上がりやつかまり立ちのリハビリが為されている
トイレに行くことで千代子さんは元気になる

圧迫骨折なのに内臓は悪くないのに 全粥、刻み なんだかおかしい
デイサービス再開初日から 普通食 軟飯 きざみなし
入院生活で自分で食べることを忘れた彼女
でもデイサービスのスタッフは
隣りに坐り 彼女の手にご飯茶碗を持たせる
右手に箸を持つと 食べ始めた
入院前は自分で食べていた
入院生活一月余りの生活は
老人から生活力を奪ってしまった病院「看護」
粥では粗食力も落ち、頭への刺激も低下してしまう
噛むことで頭は冴え飲込む力も出てくる
寝たきりになっても
自分で食べる力は残されている
介護を受けても「食べる」こと
人間に残された最後の「できる」ことなのに
全介助の食事にしてしまったら
残された最後の「できる」ことである「食べる」ことさえも失われてしまう

病気から回復し元気になるには
自分で箸やお椀を持って食べたり
自分の足で立ち、歩きトイレに行き(介助でもよい)
洋式便器に腰かける
あたりまえの生活をすることで
元気になる

玄人の医療職が治せず 素人の介護職が治し
千代子さんを元気にしたものは何か
生活そのものにある
生活とは
生き活きすることにある

看護はケアである
介護もケアである
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673;老人と病院

2018-03-17 11:55:43 | 老いの光影 第2章
老人と病院

この間
担当していた96歳の爺さんと91歳の婆さんが
地元の総合病院に入院した

今回は91歳の婆さんの話をしたい
婆さんの名前は嶋倉千代子さん
息子と二人暮らし
先月の8日自宅で
立ったままの姿勢でズボンを穿こうとしたところ
バランスを崩し後方へ転倒した
そのとき第11胸椎椎体骨折(圧迫骨折)をし
3月17日まで入院

コルセット装着をしながら退院となったものの
千代子さんの生きる力は根こそぎ喪失され
すべてにわたり全介助となり、歩くこともできなくなった
認知症はかなりすすみ呆けた表情で
息子は「かなり老けた顔になった」と呟く

要介護老人が入院すると
なぜか病院は「全粥、刻み食」になってしまう
どうしてか
食べない?
誤嚥する?
看護師は「忙しく食べさせられることができない」から
それで食べないと
点滴になってしまう

病院は病気を治す処であり
ひとりの要介護老人が退院後の生活がどうなるかは
考えもしないし気にもかけない
入院は人間にとり生活からの離脱を意味する
「病院」という非日常的な生活の世界に置かれ
治療やリハビリを受け「社会復帰」「家庭復帰」をめざす処
治癒しリハビリにより歩けるようになったら「めでたく」退院となる

要介護老人の退院は「めでたい」ものではなく
「肺炎」は治ったが、歩けなくなった。
入院前は歩けたのに・・・・
歩けなくなった老親の姿
いままでトイレにも行けたのに
オムツ交換をしたことがない息子が
下の世話ができるのか

退院前病院からは
老人保健施設か認知症グループホームに入所するしかないでしょう、と
「はあ~ そうですか」と返事をするわけにもいかず
「息子さんと相談し、家庭に帰る方向でサービス(支援)を調整します」
ということになった。

今日の病院をみたら ナイチンゲールは嘆き
「本当の看護を忘れている」と呟くであろう

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667;意識がない・・・・

2018-02-14 04:31:41 | 老いの光影 第2章
意識がない・・・

スマホが鳴った
秋桜デイサービスからの電話
「浅山幸太郎さんの意識がない、涎が垂れ、呼びかけても反応がない、救急車を呼んだ!」
消防署が来るまで3分位の場所にあり
電話対応の間に到着

在宅訪問中だった私も
急ぎ秋桜に向かった
救急車は
幸太郎さんを乗せ
かつて脳梗塞で搬送された恵周病院に向った
救急車のなかで幸太郎さんは
意識を回復され、呼びかけにも反応
「ホッと」した
酸素は6リトッル吸入

最初は脈がなかなか取れず
徐脈
不整脈があった
低血圧症状だったのか
なんで一時的に意識喪失したのか
原因はわからず
1,2週間入院し状態観察を行い
その原因を探り治療ということになった

妻、長女も駆けつけ、病院の長いすに腰かけ
検査の間、街ながら家族といろいろとお話をすることができた

医師から家族に
延命治療は希望されるかの問いに
妻が話す間もなく
長女は迷わず「延命治療をお願いしたい」、と
医師は意外な返答に戸惑いの表情をみせた
予想されていなかった言葉
妻も脇でびっくりしたような表情だった

幸太郎さんの年齢は72歳
5年前 脳梗塞で倒れ、高次機能障害となる
要介護4の認定を受けるも
懸命なリハビリの結果 つかまり歩行ができるまでになった
高次機能のため理解力、認識力は劣るが
妻の献身的な介護により
日々暮らしている
秋桜デイサービスには週3回利用されている

「延命治療」
長女にとって「生きて欲しい」という思い
いつも脇で介護されている妻
「延命治療」を望んではいない
生きるとは・・・・


今日は意識が回復され、本人も呼びかけに右手を挙げ応えるまでになり
ホッとした
救われた生命
守られた生命に
ホッとした
救急隊に感謝
医療スタッフに感謝
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649;話しができた

2018-02-01 05:29:53 | 老いの光影 第2章
話しができた 

昨日
低体温症で救急車で搬送された桃子さんの病室を訪れた
まだ食事は摂れないけれど
笑顔になり
反対に「ありがとう」と
私の手を握ってくれた
どうして
低体温症になってしまったのか
聞くことはできないけど

再び低体温症に遭わないようにするためにも
サービスの見直しをしなければならないが
担当ケアマネジャーでないだけに
歯痒い
まだ長男とも電話連絡さえもとっておらず
面会に訪れていないケアマネジャー

秋桜デイサービスを
ご利用されている立場から
ケアマネジャーにアプローチをしていかねば
幸い仕事柄、病院の担当MSW ソーシャルワーカー(医療相談員)とは顔馴染みだったので
退院後のカンファレンス(話し合い)をお願いした
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642;低体温症で救急搬送

2018-01-29 20:42:05 | 老いの光影 第2章
家の中で倒れ 低体温症

朝 8時過ぎ
秋桜デイサービスセンターの電話が鳴った
長男から電話がかかり
「母親が倒れたまま動かない、どうしたらよいか」
星明子センター長は
「いまから様子を見に行きます」と電話を切り
急ぎショコラに乗り向かった。

八幡桃子さん(87歳)は、
右側臥位の状態で倒れ、手足は動かず
目は何かを見つめているかのような感じ凝視していた
言葉をかけても反応はなく
睡魔に襲われているような状態にあった
救急車を呼ぶしかない、ということで
教員をしている長男に了解をとり
救急車を呼ぶ

普通の体温計では測定できず
SPO2は、97あった
衣服は先週の金曜日に着ていたもの
デイサービスに来ない日の土曜日、日曜日は
きちんと食事を摂っていたのだろうか
大寒波と積雪があり寒い日が続いた
部屋はエアコンは点いておらず
炬燵だけ電気が点いていたが温かさは余りなく、
炬燵のなかには2匹の猫が寝ていた

救急車は地元の総合病院に到着
低体温用の体温計で測定したら31.5℃の低体温
雪のなか寒い外を歩き回り
疲れはて(外で)寝たときに
低体温症になり、死ぬと「凍死」になる
家の中に居て
低体温症になる
いまの世のなかでは考えられない出来事である
桃子さんの意識をとりも出したのは16時過ぎであった

桃子さんの担当ケアマネジャーは
在宅訪問するわけでもないから
本人や長男には会わないまま
どんなケアプランがよいのか
週3回のデイサービスだけ
デイサービスに来ても
桃子さんにも会わない
長男はケアマネジャーを信頼しておらず
電話もしない
救急外来の医師は
「ケアマネジャーは在宅訪問をしているのか」
「いったい何をしているのか」
と怒りあきれ顔をしていた。

「救急車により総合病院へ搬送します」、ケアマネジャーに伝えても
救急外来(または病室)にも来ない

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637;老人と犬猫

2018-01-27 13:23:53 | 老いの光影 第2章

老人と犬猫  

私が棲む家の2軒隣の家では
若夫婦と乳幼児、柴犬と3匹の猫が棲むでいる
若夫婦共働きとなり
日中は犬猫が留守番
犬と猫は仲良し
犬は猫に踏みつけられても
怒らずなすがまま

いま大寒波が押し寄せ
暖房が点いてない部屋は冷蔵庫のような寒さ
犬猫たちは
優しい若夫婦に可愛がられ
若夫婦が働き
犬猫は2食昼寝つき暖房つきで最高~

担当させて頂いている91歳の婆さん
同敷地内母屋に長男夫婦が棲み
隠居宅に91歳の婆さんが暮らす
長男夫婦は石油ストーブを点け
暖かい部屋で過ごしている
91歳の母親は炬燵とエアコンだけの暖房器具

デイサービスの送迎車が玄関前に到着
玄関をあけたとき
部屋は暗く寒い
本当に心寂しくなり
何故か悲しくなってしまう
寒い日が続いている
エアコンではすぐには暖かくならない
夜中トイレに行くとき
朝起きだし着替えるときも
エアコンは点いていない
長男から「無駄な電気は点けない」とOFFにしてしまう
婆さんは寒い夜中トイレには行かず
紙パンツに「してしまい」
朝は膨らみ
時には滲み出し
寒さが身に沁みる

25年間太極拳で鍛えた体
寒サニモ負ケズ
風邪ヲ引クコトモナク
元気ニデイサービスニ通ッテイル
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630;90歳を超えても誕生祝は“嬉しい~”

2018-01-24 04:11:42 | 老いの光影 第2章
秋桜を嗅ぐ

90歳を超えても誕生祝は“嬉しい~” 

90歳を超えた老人は
人生の達人

人生の達人と呼ばれても
誕生日を迎え
また一つ齢を重ねても
言葉では“嬉しくない”と呟き
冗談にも“早くお迎えに来ないかな、長く生き過ぎた”と

でも
彼女のために
91歳の誕生日を迎えたその日に
デイサービスの仲間がみんなが
誕生祝を行った

よく保育所・幼稚園、デイサービスでは
“今月〔1月〕の誕生会”と称し
1月生まれの誕生者をまとめて
誕生会を催されます
目立つ幼児や老人は誕生会の主役になるけれど
今日自分が生れた誕生日に
みんなが
私一人のために祝う
それは幾つになっても“嬉しい~”
“本当に今日、誕生日を迎えることができ幸せ”
涙がでちゃう

昨年の夏
脱水症から寝たきりになり
“これで私の人生終わりかと思った。寝たきりのままおむつで死ぬのか、と・・・・”
“秋桜デイサービスに来て、再び歩けるようになった。生命におまけがつき、儲けた、また生きれる、そう思った”
“だから今日の誕生祝は余計に嬉しかった”
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627;「出ちゃった」より「出しちゃった」

2018-01-22 21:03:04 | 老いの光影 第2章
かやのなかにしろさぎ
「出ちゃった」より「出しちゃった」

なぜそのような行動をとったのか
未だにわからない

87歳を超えた爺様の話
昨年大晦日までは「要支援1」だった
年を明けの元旦からは「要介護1」に変わった
認知症が進んだとはいえ
まだ常識、非常識は理解できている
それなのに
デイサービスのお風呂場で
排水口を便器替わりに使い
ラーメン丼からこぼれ落ちるほどの
多量の排便を為した
それは
便が我慢仕切れず「出ちゃった」という状況ではなかった
他人様(デイサービス)の風呂場だから「出しちゃった」のであろうか
人様を疑ってはいけないのだが・・・・

ユニットバスだけに
便臭は湯気と混じり立ちこもり
天井や壁に便臭が張り付き
目や空腹に便臭が侵入し耐えきれず
窓を開け換気を行った
思わず「出ちゃった」ならば可愛げもあるのだが
要介護度が軽かったので
いままでその爺様は一番風呂だったが
次回からは「一番風呂はなし」にすることにした
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