老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1042;自分は何者か 1 “我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”(ゴーギャン)

2019-04-06 05:05:48 | 自分は何者か
私は〝貧乏草〟と呼ばれているハルジョン、ヒメジョンが好き

 自分は何者か 1

“我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”(ゴーギャン)。

我々はどこから来たのか
 宇宙から来たのだろうか、と思うときがあるけど
 それは不確か

我々は何者か
 人間?
 自分は何者か
 この世で一番わからないものは「自分」なのかもしれない

我々はどこへ行くのか
 自分の「逝く」先は死であり 天国か地獄
 自分の場合は地獄行きの切符かな
 
 輝ける星になれたら、と願う
 
 それとも また宇宙に帰り
 また産(生)まれ変わる


老いに入り
自分という人間、と向き合うとき
何を思ったか
嗚呼、自分の人生は幸福であったか不幸であったかは
最期の瞬間までわからない

ただ現在(いま)思っていることは
無駄に過ごした時間
まだ何も遺すものがない自分
そのことに後悔しきり

後悔しても 陸地では「航海」できない、と駄洒落を書いている自分が滑稽(大苦笑)

自分のために
“自分は何者か”であるかを
書き続けてみたい、と思う

阿呆鳥ト自称スル「或る老人のヒトリゴトなのか」、ト
読ミ流シテイタダケレバ嬉シイカギリデス








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