食べられるときに好きな物を食べる
年齢に関係なく
人間は食べるときというのは
至福の瞬間連続なのだと思う。
いまも元気に生きている109才のお婆ちゃんは、
(介護相談・介護計画作成を担当させて頂いている利用者のなかで最高齢)
「腹八分ではなく、腹七分」
「美味しい物、好きな物だからと言って、腹いっぱい食べない。腹七分」
という。
子どもでも老人でも
年齢に関係なく
食べ物に飢えた状態に置かれると
食を味わうといよりは
貪り食べるといった様になる。
食の飢えは、家族愛の飢えも孕んでいる。
これからお盆を迎える
仏壇やお墓に
故人の好きだった食べ物
お供え物としてあげられる。
故人を偲ぶ意味で
お供え物を上げること、
それはそれでいいのだが、
私ならば
老い病を抱え
余命幾ばくもない、と宣告されたら、
食べられる力があるときに
本人の好きな物を食べさせたり飲ませたりしてあげたい。
死んだらお終い。
何も食べられないし飲むことができない。
最後に
食べたいもの
好きな物を食べて
死ぬ。
人間にとり
最後の晩餐をどう迎えるか
大切なことなのかもしれない。
本人にとり
家族にとり
介護者にとり
お互いに
いまの食事が
最後の晩餐なのだと思い
一緒に食していきたい・・・・。
年齢に関係なく
人間は食べるときというのは
至福の瞬間連続なのだと思う。
いまも元気に生きている109才のお婆ちゃんは、
(介護相談・介護計画作成を担当させて頂いている利用者のなかで最高齢)
「腹八分ではなく、腹七分」
「美味しい物、好きな物だからと言って、腹いっぱい食べない。腹七分」
という。
子どもでも老人でも
年齢に関係なく
食べ物に飢えた状態に置かれると
食を味わうといよりは
貪り食べるといった様になる。
食の飢えは、家族愛の飢えも孕んでいる。
これからお盆を迎える
仏壇やお墓に
故人の好きだった食べ物
お供え物としてあげられる。
故人を偲ぶ意味で
お供え物を上げること、
それはそれでいいのだが、
私ならば
老い病を抱え
余命幾ばくもない、と宣告されたら、
食べられる力があるときに
本人の好きな物を食べさせたり飲ませたりしてあげたい。
死んだらお終い。
何も食べられないし飲むことができない。
最後に
食べたいもの
好きな物を食べて
死ぬ。
人間にとり
最後の晩餐をどう迎えるか
大切なことなのかもしれない。
本人にとり
家族にとり
介護者にとり
お互いに
いまの食事が
最後の晩餐なのだと思い
一緒に食していきたい・・・・。
…周りは、まだ、、眠りの中だと思うので・・
ちいさな、こえ、で・・☆
最後の晩餐・・
なにを食べたいかなぁって・・考えてみました。
そして、いま、思い浮んだのが。。出汁のお茶漬け、です。
ね? 贅沢でしょう?
「出汁」って、ヒッポンの、食文化の、根底みたいだと、私はおもうんです。
日本人として。。旅立ちまでを迎えたい♪と、おもいました。
そして、「だれと」 それを、食すか。。と、いえば。。
やっぱり、ダンナさまでしょうか♪
* * *
「私だったら・・」 ということではなく・・
星光輝さまは、お仕事としてだけではなく、
お心の目を開いて・・
目からの情景が、お心の繋がっていらっしゃって・・
私も♪ 「いいお仕事」 をしたい!と、いつも、おもいます♪
ありがとうございます
Ray
× ヒッポン
〇 ニッポン
ヒッポン・・どこの国のことやらや。。(・_・;)
すみません・・Ray
雨上がりの朝
おはようございます
出汁のお茶漬けは
日本の食文化の根底にある。
同感です。
最後の晩餐は
一人ではなく
最愛の人と。
そうですよね。
どの仕事も
人のため社会のため
自他の幸せにつながっている。