老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「臨床」とは

2022-03-04 07:48:41 | 介護の深淵


1833 患者に臨む

砂時計から落下する砂を見ていると
流れ往く時間に映る。
落ち往く砂は早く
残された砂は少なくなってきた。

老人にとっても 
わたしとっても 
残された星の砂は
貴重なな時間である。

老人の顔に深く刻みこまれた皺、
節くれだった手指から、
わたしはなにを感じ
なにを話すのか。

病院のなかで“臨床経験”という言葉をよく耳にする。
読んで字の如く「床に臨む」となり
「床」つまりベッドに寝ている人は患者=病人であり
「臨む人」は医師や看護師である。

直訳すると ベッドで痛み苦しみを抱きながら病魔と闘っている患者に対し、
向き合っている医師、看護師は 何を為さねばならないのか。


介護の世界においても同じである。

ベッドは畳(たたみ)一畳の程度の限られた空間のなかで、
寝たきり老人は生活している。
ベッドに臥床(がしょう、寝ている)している老人を目の前にしたとき、
わたしは、どんな言葉をかけてきただろうか。

十年間寝たきりだったある老人がおられた。
長い間、家族から離れ 友人が住む地域からも離れ 独り、じっと耐え生きてきた。
明日のことよりも 今日のことだけを考え精一杯生きてきた。
今日まで生かされてきたのは、彼だけでなく自分も同じであった。

残り少なくなってきたあなたの時間
あなたとわたし 繰り返すことのない時間 
あなたに寄り添いながら
いまを生きていく。
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