老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1422;にんげんの声が聴こえる

2020-02-28 04:47:26 | 老い楽の詩
にんげんの声が聴こえる 

生きていて、不図
自分は生きている価値があるだろうか。
このまま生きていても意味がない。

いまさら、歩いてきた路を引き返すこともできない。
寒い日は 左の膝関節は疼き歩くこともままならぬ。

それから拾年が経ち
独り身となった私。

老い往き病を患い
床に臥す日が続き
尿便で滲みついたおむつ。
自分で取りかえることもできず
為すがままに他人に身を委ねるだけ。

こんな辛い思いをしてまで
にんげん生き恥を晒しながら
生きなければならないのか。

生きていく意味もなく
この先 生きたところでしょうがない。
死ぬしかない、と思うこともあるが
死ぬ「勇気」もなく
死ぬこともできず悶々としている。

南窓の居間なのに
陽は差し込まず
老臭と尿臭が混じった酸っぱい臭いが漂う。

毎日ヘルパーが朝夕60分ほど
食事つくりとおむつを取り換えに訪れる。
そのときだけ部屋のなかは明るくなりにんげんの声が聴こえる。



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