1716 仙厓和尚伝❷
極貧にあり 三男として生まれた子は
ろくに食べさせてもらえず、躰は小さく、泣き虫であった
親からは「うまれそこない」と愚痴られた。
猿の顔に似ていたことから、兄や村の悪童からも「四国猿」と囃し立ていじめられていた。
四国猿は、普通の猿より小さかった。
「四国猿の遊びは、村はずれにある汾陽寺(ふんようじ)であった。
汾陽寺は、当時、近隣の禅寺の和尚が数か月ごと交代で住職を勤める輪番寺
四国猿は汾陽寺に野良犬が棲みつき、家に帰らなくなった。
和尚たちは雑用を言いつけるかたわら、読み書きを教えた。
11歳になったとき、当番の和尚 清泰寺の空印円虚は、自分の寺へ連れて行った。
清泰寺で頭を剃り、義梵(ぎぼん)という名を与えた。
義梵は、こまねずみのように動き働き、人の嫌がる作務(さむ)を進んで行った。
夜は膝に削ぎ竹を立てて眠気を払い、経本を読んだ。
義梵は、12歳の12月のとき
碧巌亭(へきがんてい、本堂の裏山にある小道場)で8日間、ぶっ通しの座禅を、小僧でただ一人やりとげた。
空印円虚は「梵、お前は古月祖師の亡くなられた年の生まれじゃったな。同じ日のようじゃ。
してみれば、お前は、祖師の生まれ変わりかも知れんのう」(52頁)
この言葉が、義梵の将来を決めた。
義梵は、空印円虚の兄弟子にあたる武州東輝庵 月船和尚を訪ね行脚に出た。
今日も 自治医科大学付属病院腎臓外科受診の日
ブログを閲覧できる時間もなく失礼します
5時半過ぎに自宅を出て、帰宅は夕方になる
極貧にあり 三男として生まれた子は
ろくに食べさせてもらえず、躰は小さく、泣き虫であった
親からは「うまれそこない」と愚痴られた。
猿の顔に似ていたことから、兄や村の悪童からも「四国猿」と囃し立ていじめられていた。
四国猿は、普通の猿より小さかった。
「四国猿の遊びは、村はずれにある汾陽寺(ふんようじ)であった。
汾陽寺は、当時、近隣の禅寺の和尚が数か月ごと交代で住職を勤める輪番寺
四国猿は汾陽寺に野良犬が棲みつき、家に帰らなくなった。
和尚たちは雑用を言いつけるかたわら、読み書きを教えた。
11歳になったとき、当番の和尚 清泰寺の空印円虚は、自分の寺へ連れて行った。
清泰寺で頭を剃り、義梵(ぎぼん)という名を与えた。
義梵は、こまねずみのように動き働き、人の嫌がる作務(さむ)を進んで行った。
夜は膝に削ぎ竹を立てて眠気を払い、経本を読んだ。
義梵は、12歳の12月のとき
碧巌亭(へきがんてい、本堂の裏山にある小道場)で8日間、ぶっ通しの座禅を、小僧でただ一人やりとげた。
空印円虚は「梵、お前は古月祖師の亡くなられた年の生まれじゃったな。同じ日のようじゃ。
してみれば、お前は、祖師の生まれ変わりかも知れんのう」(52頁)
この言葉が、義梵の将来を決めた。
義梵は、空印円虚の兄弟子にあたる武州東輝庵 月船和尚を訪ね行脚に出た。
今日も 自治医科大学付属病院腎臓外科受診の日
ブログを閲覧できる時間もなく失礼します
5時半過ぎに自宅を出て、帰宅は夕方になる
病院通院は大変ですね、私はいつも気が重いですが、続けないと生きて行けないので頑張って行ってます、病院は別のところですが時間ばかりかかります。
死ぬまで病院通いです。
病院に行くと様々な患者に出会います。
「なんで」、と思うときもありますが
いまある躰で生きるしかないですね