病気と闘っていたお友達が逝きました。
ほんの12時間前には、いつものように話をして
「じゃあ、また明後日ね」
と言って別れたばかりなのに。
(そのとき、ハイタッチした手は冷たかったけれど...)
最期に立ち会ったのが私で良かったの?
もっと他に、最期にそばに居て欲しい人がいたのではないかと、
返ってこない答えと共に、たぶんこの先ずっとに心に刻まれることでしょう。
耳元で、ただ名前しか、呼ぶことができませんでした。
もっと長い期間闘病している人からしたら、たった3ヶ月のことでしたが、
辛い治療に耐えて頑張っていた彼女に、もうこれ以上「ガンバッテ」とは言えませんでした。
最期にひとすじ流れた涙。
肉体的な反応からなのかもしれませんが、あれはやっぱり無念の涙よね。
「看取る」とタイトルに書いたけれど、思い返してみたら「看る」ことは何もしていなくて、
ただ、いつものように会っておしゃべりして(調子が良いときは一緒にアイス食べて...)
の日々でした。
私だけが見た、最期の表情は一生忘れられないと思います。
でも、今、棺の中で眠っている顔は、とても楽しそう。
(こんなに棺の中で楽しそうに笑っている顔は始めてです)
悲しくないはずは無いのだけれど、
(ん?でも、もしかしたら、感受性が鈍くなって感じないのかも?)
泣いているヒマはありません。
ここまで来たら、とにかく最後(骨になるまで)まで、きちんと送らないとね。