ひでんかの”雅でない”日々

庶民の"ひでんか"の日々はちっとも雅じゃないけれど、いろんな人達と楽しい毎日を過ごしています

オカモチ?

2008-05-25 23:52:00 | ひでんかの「日々の徒然」

とあるイベントで、比叡山の大阿闍梨さまのお話を聞きました。

(阿闍梨というのは、比叡山で「千日回峰行」という荒行を達成することが出来た僧しかなれないもので、延暦寺の記録に残っているのは現在までで50名にも満たないそうです)
短い時間でしたので、中身が濃いお話というのではありませんでしたが、
(阿闍梨さまからすると、濃いも薄いも無いのだと思いますけれど)
一番印象に残ったのは、
「厳しい「千日回峰行」を終えて得たモノは何ですか?」という質問に
「何も無い」という言葉でした。
(それも、さらっと「何もありません」と)

「何かを得るために何かをする」というのでは無く、「無心に何を成し遂げる」ことの難しさと大切さを感じました。
(その他にも、
「80歳を超されているのに、肌がつやつやとキレイなのは何か秘訣でもあるのですか?」
という質問にも
「何も考えないこと」と。
ものすごく納得したものの、俗人にはなかなか難しいことです)

ところで、阿闍梨さまが登場する前、司会の女性から
「こちらの会場は禁煙ではありませんが、阿闍梨さまからオカモチを頂くまではおタバコはご遠慮ください」
という注意事項がありました。
オカモチって???」
私の頭に浮かんだのは、出前に使う”オカモチ”。
それ以外、どうガンバッテも出てきません。
一度ではなく、何度も繰り返されるので
「比叡山には、何か特別な”オカモチ”があるのかしらん?」
と思いました。

ところが、お話も終わり、最後に前出の司会者が
「阿闍梨さまからここにお集まりの皆さんのために、”オカジ”を頂きます」
と言いました。
そして、阿闍梨さまは立ち上がり、数珠を絡めて印を結び.....

 オカジ=お加持

ここでやっと、「オカジ」は「お加持」で「加持」は「加持祈祷」の加持だと理解しました。
そして、最初の「オカモチ」は「お加持」を「オカジ」と読めなかっただけ...と。
(これって相当恥ずかしいことでは.....)

台本にルビがふっていなかったのか、事前に台本をチェックしていなかったのか、
いずれにしても、よりにもよって阿闍梨さま本人の前で。
(もっとも、阿闍梨さまは、こんなことも笑って聞き流されるのでしょうけれど)

帰り道、
「お蕎麦やさんのオカモチを軽々と下げて、比叡山の山々を回る阿闍梨さまの姿」
が頭に浮かんでは消え.....。
(なんてバチ当たりな!?!)

知らない言葉、読めない漢字には充分注意いたしましょう。

コメント
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