告別式が終わりました。
荼毘の会場は「落合斎場」。
何年かぶりに訪れた斎場は、まるでホテルのようでした。
(前に来たときは、こんなに立派では無かったような...)
炉がズラっと並んでいて(ちなみに、こんな場所にも、ランク付けがされていて、「特別室」とかもあるのですね)、それぞれの前には参列者が長い列で並びます。
本当に最後のお別れの後、流れ作業のように棺は炉の中へすぅっと消えていきました。
炉の扉が閉められて、昔、祖父が亡くなった時の記憶では、火が点く瞬間に「ボっ」という音がしたのですけれど、これだけたくさん並んでいて、部屋に入ったときから、ゴウゴウという音がしていたのでは、そんな音に気が付くはずもありません。
後は、別室で待つだけです。
時間になると放送が流れ、全員でまた並んで炉の前へ。
炉の扉が少し開いた時点で
「中をご確認ください。(「手品じゃあるまいし...」と思ってしまった私は不謹慎?)ご確認頂けましたら、こちらへ」と少し離れた場所へ移動させられます。
そこで参列者が一通り骨を拾うと、残りは係の方が手際よく容器に詰めてくれました。
更に、箱に入れてカバーを掛けて、ハイおしまい!
(と、言われた訳ではないけれど、どこからかそんな声が聞こえたような気が...)
それぞれのグループの移動も、「はとバスツアー」か、はたまたどこかの国の”マスゲーム”のよう。
「葬儀」というのは「儀式」なのだと、あらためて感じました。
本葬は菩提寺(八丈島)であらためて行うということで、精進落としも初七日の法要も無く、斎場の玄関で解散となりました。
このあと、遺骨は島から迎えに来てくださった、遠くから彼女のことを一番心配していたおばさまに抱かれて夜の船で島へ渡ります。
姿形も無くなって、自分で骨も拾ったのに、まだ”亡くなった”という実感がありません。
「悲しい」とか「寂しい」という情感を全くといっていいほど感じません。
その感情が、いつ、どこで起きるのか
(又は、全く起きない冷血人間か)
今は全く予測が立たないのですが、とりあえず、今はただただ
眠い
です。