元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

ディープ・パープルのハイ・クオリティな駄作

2006年11月07日 | リッチー・ブラックモア
■ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ(1969年)
第2期ディープ・パープルの幕開けはハードロックバンドとして
華々しく開花したのでは無く、クラシック&ロックとプログレッシ
ブロックの先駆けのような路線から始まりました。オークストラ
をバックにロックやブルースの要素も持ち込んだ異色のアイデアは
ジョン・ロードがディープパープル結成以前からあった構想で、ジョン
の夢でした。クラシックに無知な人がさらっと流して聴くと、駄作と
評しても仕方ないかもしれませんが、何度も繰り返し聴くことで、じわ
じわと良さが分かってきて、次第にはまってきてしまう不思議なアルバム
です。同時期ぐらいに制作されたオーケストラと競演した作品
「紫の交響詩・・・ジェミニ組曲」もお薦めです。リッチー・ブラックモア
の熱のこもった演奏が聴けます。両作ともリッチーはギブソンES-335
を使用しているという意味でも興味深いです。

■フー・ドゥ・ウィ・シンク・ウィ・アー!(1972年)
黄金時代第2期最後のアルバムです。他の第2期のハードロックアルバム
がサンサンと光り輝く中、当作は不発でした。しかし、最後のイアン・ギラン
の名演が聴けます。イアン・ギランは今現在もディープ・パープルの
フロントマンですが、誰にも真似出来ない程強烈で圧倒的な歌声だったのは
1969年~1972年まででした。その後のイアン・ギランも好きですが、
かつての凄まじさは皆無になりました。
当作品は、「イン・ロック」「マシンヘッド」にもひけを取らない名盤なのに
何故か駄作と言われています。日本のファンに捧げた「ウーマン・フロム・
トーキョー」も収録されています。

■ストムブリガー(1974年)
このアルバムの前作「バーン」は大ヒットし、第3期のメンバーも多くの
人に受け入れられました。前作で大成功しただけに、本作での比較批判が
やたらと多いです。このアルバムは「イン・ロック」以降の路線を期待
して聴くと肩すかしに合いますが、常に新しい音楽を探しているような
人は楽しめると思います。ソウル、ファンクと、リッチー・ブラックモア
が嫌いな音楽も積極的に取りこみ密度が高く幅が広がった作品です。

のちの、グレン・ヒューズ・ソロ活動に通づる作風である事から推測する
に、グレンも積極的に曲作りに参加したのだと思います。

でも、当時のリッチー・ブラックモアは、ディープパープル内での
デヴィット・カバーデール、ゲレン・ヒューズの自己主張を毛嫌っていて、
舵とりが出来ないバンドに嫌気がさし結果、本作完成後にリッチーは
脱退した。そして、リッチーは自分の居場所「レインボー」を結成した。

当時のリッチーの心を写したようなラストナンバー「ソルジャー・オブ・
フォーチュ-ン」は、ディープ・パープル最高のバラードだと思います。

ディープ・パープルの駄作について再検証

2006年11月07日 | リッチー・ブラックモア
ディープ・パープル第1期の3枚のアルバムは、
ジョン・ロードのテクニカルなオルガンと、イアン・ペイス
の安定したドラム以外は面白くもなんとも無いです。
並のロックン・ロールバンドでリッチー・ブラックモアが模索
している状態で、第2期以降のダイナミックスさは第1期には
感じません。
リッチー・ブラックモアも、第2期以降のトレードマーク、
フェンダーストラトキャクター&マーシャルではなく、
ギブソンES-335&VOXAC-30の時期です。演奏スタイル
だけじゃなく、ギターサウンドも大きく異なり興味が沸きません。
また、ロッド・エバンス、ニック・シンパーは典型的なロックン
ロールプレイヤーで、彼ら2人がいたのでは型破りな伝説的バンド
ディープ・パープルには成長できなかったはずです。

よって、第1期ディープ・パープルはマニアアイテムの3枚であって
お世辞にも名作とは言いがたいです。

ディープ・パープルは第2期の「イン・ロック」(’69)、
「ファイヤーボール」(’71)「マシンヘッド」(’71)
第3期の「バーン」(’73)、第6期(第2期メンバーでの再結成)
の「パーフェクト・ストレンジャーズ」(’84)が名盤と賞賛される
一方、駄作、捨て曲と呼ばれる作品の多さはハードロック界1です。
しかし、駄作と酷評されている悪名高いアルバムについて検証し、
僕なりに弁護してみたいです。