旧麓の馬場に沿って歩く。
給黎城の歴史が書かれている。
1411年伊集院頼久の所領。島津久豊との争いに負け、給黎から喜入に名前が改められた。
1595年から代々肝属氏の居城となる。4代兼屋のとき現在の麓に居館を移す。
約460年以上この地が麓として政治の中心的役割を果たしてきた。
この付近は用水路に沿って石垣がずっと続いている
さらに竹垣も続く
鯉が泳いでたら言うことない
背後は給黎城址の一部。山城は既に森化しているので城址と言われてもピンとこない
この付近が地区の終点あたりか。
馬場に沿って道を登っていくと一倉小学校のある一倉地区に辿りつく。そこから知覧への幹線道路に出る
(訪問記)
旧麓にはかつての政治の中心地であったであろう麓の面影が石垣、門等に残っている。
特に馬場沿いや路地に面する殆どの家の門に古い石柱が残っている点は印象的であった。
子供の頃遊びに行ったときは子供の数がもっと多かった気がする。お盆に帰省した子供達だったかも知れない。