鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 閑話休題

2008-12-23 | 武家屋敷-TOPICS

「鹿児島みてある記」を始めた頃に比べると、ブログに1度に掲載する外城(麓)の風景写真の数が増えている。

構図がピタッと決まらないことや(素人ゆえ)、風景写真を絞りきれないことが主な理由だが、もう一つの理由は、一枚の風景写真から多くの情報が読み取れるので、それを大事にしたいと思うから。

写真には当時(撮影日)の多くの情報が載り、後日、写真から当時の様々な状況を知ることができる。そのように意識して撮っている写真が多くある。風景が一旦消滅してしまうと、二度と記録することができない。

そんな理由でブログに一度に掲載する写真が多くなっている。


2008 大口麓の風景

2008-12-23 | 麓-大口・伊佐

大口市(現伊佐市)里。諏訪馬場。茅葺の武家屋敷

祁答院家住宅と並び大口麓(里)のランドマーク的存在。長野や東北地方の農村風景のよう

武家門構えが薩摩藩の郷士屋敷であることを物語っている

 

 

貴重な茅葺屋根

 

竪馬場をのぞむ。正面は大口小学校(地頭仮屋跡)

 

諏訪馬場の眺め

 

諏訪馬場。落ち着いた佇まいの武家屋敷。武家門、玉石垣、生垣、屋敷林、主屋が調和している

 

 

 

同じく諏訪馬場に建つ武家門

 

玉石垣と生垣が続く。区画整理により歩道と街路樹が設けられている

 

諏訪馬場を歩くと高い建物がなく敷地がゆったりし空が広く感じられる

 

どこからでも城山(大口城)が眺められる

 

さきほどの茅葺。屋根の傷みがかなり進んでいるようだ。早めに修復したい

歴史まちづくり法の補助を受けたいが。行政が中心となって歴史資産の保護に取り組んで欲しい

 

遠くに見えるのは伊佐市役所。この建物は修景したい

 

薩摩藩時代、大口郷は出水郷や高岡郷と同じく国境を守る要衝の地として多くの郷士が置かれる大郷であった。地頭仮屋(大口小学校)の正面に竪馬場が延び、竪馬場と交差するように地頭仮屋の手前から上之馬場、下之馬場、諏訪馬場が設けられた。さらに下之馬場から大口城の周囲を囲むように片馬場が設けられた。大口麓の武家屋敷は地頭仮屋を中心に各馬場に沿ってまた大口城を囲むように配置された。 

(続く)


2008 羽月麓 02

2008-12-23 | 麓-大口・伊佐

大口市郷土誌によると、石垣で囲まれた右の屋敷地が地頭仮屋跡のようです。ただし、碑はない

 

上の屋敷地に木々に埋もれるように武家門が残っています。いつまで残ってくれるのだろう

 

 

手前は上之馬場。馬場といっても今では単なる筋道になっている。正面は地頭仮屋跡。

 

武家門を少し進むと、旧羽月小学校開校の地がある

 

生垣が続く。デシュ馬場と呼ばれた通り

 

 

少し先に武家門が残っている。晩秋の風景

 

堂々たるいい構えをしている。ブロック塀の前は生垣だったのだろう

 

この写真も捨て難い

 

(訪問記)

羽月麓は大口麓の近郊にある。中規模の麓。麓としての形態は次第に失われつつある。

それでも、石垣、生垣、所々に点在する武家門に麓の面影を知ることができた。

この後、大口方面へ車を走らせる。

参考⇒大口市・羽月麓(2007年10月訪問)