鹿児島に帰る途中、高岡町へ。高岡町は人口1万2千人の小さな町。
高岡町の中心に石垣や門構えの武家屋敷が多く残る。最初に目に留まった粟野神社
石垣造りの古い塀が旧国道に沿って続く
粟野神社は島津義弘が高岡郷を創立したときの郷の宗廟。島津斉彬公が高岡巡見の際に参拝した
高岡市街地に入って最初に目にした武家門
こちらは武家門と石垣と生垣の組合せが美しい
生垣も綺麗に手入れされていた
こちらの屋敷も生垣が綺麗に手入れされている
独特の色合いは高岡石と呼ばれる。石の性質が非常に柔らかく加工しやすいことから石垣に採用された
上の通りを進んだ先の九州森林管理局付近
独特の石垣や生垣が通りの左右に続く。交差点の角に武家門が見える
角を曲がると武家地らしい石塀が通りの左右に続く
高岡小学校。旧地頭仮屋跡
(高岡町の歴史)
関ケ原の戦いから退却した島津義弘が現在の高岡の地に山城(天ヶ城)を築城し、薩摩・大隅・日向各地から家臣や郷士を多数移住させ、高岡、綾、穆佐、倉岡の四郷の外城を創設した。去川の関の外に位置する高岡郷は出水麓や大口麓などと並び、境を守る要衝として大規模な麓が形成された。
(続く)
に祖父が住んでいって、子どもの頃に父とよく遊びに行きました。
なかなか厳格な父で、よく祖父が先祖は薩摩藩士だと話をしてくれ高岡と宮崎本庄(国富)
の話を聞きました。