古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

仏教伝来の地・海石榴市・磯城瑞籬宮跡(葛城・纒向ツアー No.16)

2020年01月09日 | 実地踏査・古代史旅
いよいよ葛城・纒向ツアーも後半戦、纒向編に入ります。

 2日目も前日に続いて快晴です。8時に大和八木駅を出発して3つ先の桜井駅で下車。1台1,000円でレンタサイクルを借りて纒向踏査をスタートさせました。



 まず目指したのは大和川が奈良盆地に流れ込むところ。古来、大陸からの船が瀬戸内海、大阪湾を経て難波津から大和川をさかのぼって到着する船着き場があった場所とされています。6世紀半ばの第29代欽明天皇のとき、百済からの使節がここに上陸し、仏教を伝えたと言われています。



仏教伝来の碑。


仏教伝来の年代はいくつか説がありますが、有名なのが538年説と552年説です。小学校の時に覚えた「ほっとけほっとけゴミ屋さん」は今でも頭にこびりついています。

 538年説は、「上宮聖徳法王帝説」や「元興寺伽藍縁起并流記資財帳」に欽明天皇の「戊午年」に百済の聖明王から仏教が伝来したとあることが根拠となっています。欽明天皇の治世には戊午年がないので、もっとも近い宣化天皇3年(538年)をもってその年にあてています。
 552年説は、「日本書紀」に欽明天皇13年(552年)10月に百済の聖王(聖明王)が使者を遣わして仏像や経典とともに仏教流通の功徳を賞賛した上表文を献上したと記されていることを根拠としています。

 ここに伝わった仏教の取扱いをめぐって国家を二分する勢力争いが勃発しました。蘇我氏と物部氏の争いです。新進豪族の蘇我氏は、伝統的な祭祀を取り仕切ることによって軍事力を含む強大な権力を誇った物部氏に対抗するために仏教の受入れを主張、かたや物部氏は自身の権力保持のためには仏教受入れは断固拒否。この争いは蘇我氏の勝利に終わり、こののち仏教は日本全国に広まるとともに、物部氏に代わって蘇我氏が絶大な権力を持つに至りました。



 仏教が伝来したときの天皇が第29代欽明天皇。日本書紀によるとその欽明天皇が宮をおいたのが磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)。古事記では「師木島大宮」と記されます。大和川を少しだけ遡ったところです。当初の行程には入れてなかったのですが自転車で5分もかからないので訪ねることにしました。



 次の訪問地は大和川の船着場から自転車ですぐのところにある海石榴市の跡地です。海石榴市は「つばきち」または「つばいち」と読みます。三輪山の南西にあった古代の市場で、「日本書紀」や「万葉集」によると、物品を交換する市が立ち、男女が出会う歌垣が開かれ、駅家などの役所が置かれ、外国の使節を歓迎する儀式も行われました。


海石榴市の説明板が桜井市金屋の村の中にひっそりと建っていますが、1,500年前はさぞかし賑わっていたのでしょう。すでに山の辺の道に入っています。

 次はさらに北上して、第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮跡へ。細い道ですが思っていた以上に急な登り坂です。このあとの長丁場を考えて体力を温存するために自転車を降りて押しました。
 磯城瑞籬宮跡は志貴御県坐神社一帯とされ、境内に石碑と説明板が建っています。この地を宮跡とするのは江戸時代中期の史書である大和志に「三輪村東南志紀御県神社西に在り」と記されていることによります。





 志貴御県坐神社は、朝廷に献上する野菜を栽培する神聖な菜園の霊を神として祀る神社とされます。主祭神は大己貴命、あるいは志貴連の祖神である天津饒速日命など諸説あるようです。



 御県(みあがた)とは、天皇の御饌に供える蔬菜を栽培するために設けられた直轄領で、当社が鎮座するここ志貴御県の首長は磯城県主(のちの志貴連)とされています。代々の磯城県主は娘を第2代綏靖天皇から第6代孝安天皇までの各天皇の皇妃に入れたと記紀に記される古豪です。

 小さな道の側溝には三輪山から湧き出した清水が溢れんばかりに音を立てて流れていました。


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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~
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四国一周 車中泊の旅 No.4

2020年01月07日 | 旅行・車中泊
 2泊3日で四国を一周する予定が1泊延長して3泊となりました。振り返ると1泊目が徳島県美馬市、2泊目が愛媛県西宇和郡伊方町、そして3泊目が高知県土佐清水市。四国を長方形に例えると、右上の角から左回りにまわって現在は左下の角、つまり3日間で半分しか回れていないのです。この最終日で残り半分を走破しなければなりません。ひたらすら走る旅となることを覚悟して迎えた最終日です。

 最終日の朝は6時に起床、ワンコの散歩、着替え、歯磨き、トイレを済ませて早々に出発しました。ナビにしたがって足摺岬を目指していたのですが、途中の交差点で「足摺岬東回り」という標示が見えたので、どうせなら折り返しよりも一周がいいと思って進路変更しました。そしてついに四国最南端の地に到着です。
 駐車場にはすでにたくさんの車が停まっています。観光案内所のトイレが24時間使えたようなので、結果的にはここで車中泊するのが一番良かったみたい。そうすれば日の出を拝むこともできたしょうが、あくまで結果論です。


うしろの像はジョン万次郎。


ここはジョン万次郎の生誕地。周辺道路のあちこちに「ジョン万次郎の大河ドラマ化」を訴える看板や幟がたっていました。「ジョン万次郎で大河は無理やろ、朝ドラくらいがちょうどええんちゃうか」というのが夫婦の一致した意見でした。

前日までと違ってこの日は太陽が眩しいくらいの快晴です。展望台からの太平洋の雄大な眺めは最高!






少し歩くと灯台です。








 前日の四国最西端、そしてここ四国最南端、四国のふたつの角をとりました。これだけでも大きな達成感を味わうことができたのですが、ここまで来たらどうしても右下の角、つまり室戸岬も明るいうちにいかねば、と思ってここを出たのが8時半頃でした。
 数分ほど走ったとき、前からやってくる一台のキャンピングカー。そうです、初日に見たあのキャンピングカーです。同じように3人の男性が並んですわるあのキャンピングカー。あちらさんも四国の岬めぐりをしているのだろうな、もしかしたら室戸岬でも会うかも。なんて言いながらすれ違いました。

 足摺岬を出て国道321号線を走っていると道端のあちこちの無人店舗にミカンが置いてあります。店舗といっても木箱を横にしたようなものや、小さな祠のようなものですが、よくみるとデコポンと書いています。赤いミカン用の網に20個くらい入って300円。安いのはわかっているけどデコポンてこんなに小さかったかなあ、と話しながらやり過ごしていたのですが、ダメ元で買おうということになって次の店舗で車を停めて買いました。実はそこから先、いくら走ってもその無人店舗が出てきません。なんと、最後の店舗だったのです。車の中でさっそく食べてみましたが、紅マドンナとは違った美味しさ。これまた正解でした。

 さて、まもなく四万十川を渡ります。四万十川といえば沈下橋。いちど車で渡ってみたいと思っていたので、いちばん近い沈下橋をググって出たのが「小原橋(四万十川第一沈下橋)」です。来てみてがっかり。たしかに沈下橋だけど、河川敷のゴルフ場に行くためのほぼ専用の橋になっていて、とても車で渡れるところではありませんでした。





 そのゴルフ場の駐車場で少し休憩をとって前日に買っておいたパンを頬張りました。朝ご飯です。ワンコのトイレも済ませて出発。そのあとはしばらく海岸線を走ります。太陽が高くなってきて車窓に素晴らしい景色が広がります。これはどこかに停めて眺めないともったいない、ということで「土佐西南大規模公園」の駐車場に入りました。公園の芝生の広場には誰もいません。ワンコはリードを外してもらって大はしゃぎです。



 さあ、ここから先は桂浜、はりまや橋、、、高知県のすべての観光地をすっ飛ばして室戸岬へまっしぐら。それでもお腹はすくのでいいお店があったら入ろう、それとガソリンがそろそろ心もとないので安いところがあれば入れよう。しかし、このふたつはいずれも満たされることなく室戸岬にどんどん近づきます。
 ガソリン価格には驚かされましました。国道56号線から55号線、ガソリン価格はどこのスタンドも154円です。どう考えてもカルテル。数十あるスタンドがすべて154円はありえない。それでぎりぎりまで探し続けたけど辛抱できずに入ったスタンド、料金表示がなかったので聞いてみると157円という。大失敗に後悔して1,000円分だけ給油して走り続けました。
 食事は室戸岬の直前に入った「道の駅 キラメッセ室戸」でとろうとしたけど、行列ができているうえにラストオーダーまで15分。ここはあきらめて最後の候補にしていたお店に電話して大丈夫なことを確認しました。それが「海の駅 とろむ」の「ぢばうま八」。時間が遅かったので残念ながら刺身が品切れ。鰹のたたき丼1,200円、たたき・刺身・じゃこの三色丼1,400円の刺身が品切れなのでたたきを増やしてもらって二色丼に。奥さん曰く「こんなおいしいたたきを食べたことがない」。同感です。今回、食事はすべて大満足でした。





 そして、驚くなかれ。あのキャンピングカーと三度目の遭遇です。やはり来たか、この室戸岬へ。予想的中に妙な満足感。そして私たちは断崖絶壁を登っていく室戸スカイラインを走って山頂の展望台へ。よくこんなところに道路を作ったな、と感心しながらも車窓からのパノラマビューに感動。そして山頂に到着。
 展望台では太陽がキラキラと照りつけるものの、おそろしく強い風が太平洋から容赦なく吹きつける。それでもあまりの絶景に叫んでしまった。360度のパノラマです。頑張って走ってきた甲斐がありました。

















絶景を堪能したあと、スカイラインを少し戻って灯台へ。









 言葉にできないほどの感動のフィナーレとなりました。時刻は16時を少し回っていました。ここから自宅までは6時間近くかかるため、16時には出たいと思っていたところ、ほぼその通りの時間になったのでしてやったりです。途中で日が暮れて暗くなった海岸沿いの道を徳島までひたすら走り続け、徳島インターから高速に乗って22時ころに自宅に帰ってきました。 
 そうそう、結局ガソリンは徳島に向かう途中に145円の看板を見つけて入りました。高知と徳島で10円も違うってどういうことやねん、と思いながらも結果的に後悔の気持ちを少し払しょくできたので良かったです。

 以上で今回の四国一周車中泊の旅のレポートは終了です。4日間の走行距離は約1,200キロ、要した費用は高速、ガソリン、温泉、食事、お土産、美術館、もろもろ全て含めて5万5千円ほどでした。高速道路の利用ですが、行きは四国に入ってすぐの鳴門北インターで降りて、帰りは徳島インターから乗ったので、四国の中はすべて下道を走りました。

 事前におおまかな計画を立て、温泉や車中泊する場所の候補を探すことはやりますが、いざ出発した後は時間を気にせず、思いついた所に寄って心のままに過ごす、そしてその土地の美味しいものを食べる。宿泊にお金が要らない分、ご飯は贅沢できます。それでもホテルや旅館よりも安くて美味しい。今回はこれまでの中でそんな充実感をもっとも味わうことができた旅でした。


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四国一周 車中泊の旅 No.3

2020年01月06日 | 旅行・車中泊
 3日目は雨です。6時半頃に目が覚めて雨の中をワンコの散歩。その後、とりえあえず車を「道の駅 瀬戸農業公園」に移動してトイレと歯みがきを済ませ、佐田岬の先端までまっしぐら。思っていたよりも遠い。
 もうすぐかな、と思った矢先、手に大きなミカンを持ったおばあちゃんが道端の小屋から出てきて何か叫んでいます。あまりの突然のことに助手席の奥さんが「ミカンくれるんかな」とつぶやき、それを聞いた私は思わずブレーキを踏んで車を停めました。窓を開けるとミカンの売り込みでした。亀ケ池温泉の売店で見た紅マドンナが袋に詰めて300円。大きさもバラバラで見た目もきれいではなく、おそらく商品として出荷できないものをここで販売しているのだと思います。値段も安くておばあちゃんが必死に訴えるのもあって、騙されたと思って買うことにしました。ミカンを買って少し走ると終点、佐田岬の駐車場に到着です。雨が少し小やみになってきたので傘を持って灯台まで歩くことにしました。ワンコは車で留守番です。



駐車場から見た岬の先端に灯台が小さく見えます。


 灯台までの遊歩道はどんどん下っていきます。行きはよいよい帰りはこわい、これは帰りはずっと登りになるので大変や、と言いながら歩きました。途中で小さな浜に降りることができます。ここは岩も砂も青いのです。澄んだ水も余計に青く見えます。たぶん、美濃田の淵で見た青石です。この佐田岬は吉野川からつながる中央構造線の上にあるので、美濃田の淵と同じ変成岩で形成されているだと思います。



30分ほど歩いて灯台に到着。




 念願の佐田岬の灯台は5年前のリベンジです。5年前にも車で四国へやってきて、香川の栗林公園やこんぴらさんなどを訪ねたあと、四国カルストで絶景を見て道後温泉、そして翌日に佐田岬へ、という周遊コースを予定していたのに、四国カルストでは霧で5メートル先も見えないことになって絶景を楽しむことができず、翌日の佐田岬は土砂降りのためにあきらめざるを得なかった、ということがあったので、佐田岬はいつかリベンジしてやろうと思っていたのです。四国カルストもいつかは行きます。





ここは四国最西端。向こうに見えるのが大分県の佐賀関。この豊予海峡は太平洋から瀬戸内海への西の入り口。思っていたよりも狭いです。



左が太平洋側、右が瀬戸内海側。潮の流れがぶつかっているのでしょうか、左の海面が穏やかで右の海面が波立っています。実際に見ると川の流れのよう見えました。

岬の先端から見える御籠島は畜養池と呼ばれる漁業施設によって現在は半島とつながっています。

畜養池というのは採ってきたエビや貝などをいったんここに放して出荷時期を調整したり稚貝を育てたりする施設だそうです。


手前の断崖に見えるふたつの洞穴は砲台跡です。豊予海峡を通過する敵国船を攻撃するために構築されたもので、今となっては戦争遺跡と呼ばれるものになります。

畜養池を通って御籠島に渡ってみます。




ここも青石が露出しています。青い色がよくわかります。


御籠島にも砲台跡があって大砲のレプリカが設置されています。


御籠島からみた灯台。




 灯台からの帰りは予想通りの上り坂でヘトヘト、汗だくになりながら駐車場に戻ってきました。結局、往復の時間も含めて2時間ほどここで遊んでいたことになりますが、5年前のリベンジを果たした満足感に浸りました。喉が渇いたので行きにおばあちゃんから買った紅マドンナをひとつ食べたのですが、最初のひと房を口に入れてビックリ。甘い!美味い! 人生60年、これまで食べたミカンの中でも一番です。13個300円は激安。奥さんは帰りにおばあちゃんがいたら追加で買おうといいます。

 そして、いました。おばあちゃん。車を停めて窓を開けると「おいしかったやろ。さっきの人も1,000円分も買っていったよ」と。売り込み上手なおばあちゃんです。でも今度は自分たちの意思で買おうと思っていました。結局、私たちも1,000円分を追加で買いました。さっきの分と合わせて40個以上の紅マドンナを1,300円で買うことができました。大満足です。

 このあとは半島を戻る途中に九州へのフェリー乗り場のある三崎港の「佐田岬はなはな」に立ち寄りました。雨が上がっていたのでワンコの散歩です。散歩の途中、じゃこ天を販売する店で今度はじゃこカツを買って食べました。じゃこ天よりもじゃこカツのほうが美味いですね。
 佐田岬半島の尾根の上は太平洋からの風が強く吹き付けるところで、風力発電の風車が尾根に沿って並んでいます。その風車に沿って敷かれた道路を走って東に戻れるだろうと思って「みさき風の丘パーク」という公園からどんどん先に進んでいってみると、なんと最後は行き止まりになっていて結局もとに戻ることなって往復20分ほどを無駄にしてしまいました。


 
 あとはどこかでご飯を食べるだけにして、とにかく足摺岬に近づこうと南に向かって走ることにしました。そしてご飯は「道の駅うわじま きさいや広場」のすぐ近く、宇和島のこの店が本店の回転寿司屋「すしえもん」。車中泊の醍醐味は地元の美味しいものを手頃な価格で食べれることです。お腹がすいて何かを食べようと思ったときは常に地元の回転寿司屋さんを探すことにしています。もともと道の駅で食べようと思っていたのですが、偶然に見つけたすしえもんに入ることにしました。大正解でした。ネタが新鮮、安くて美味い。スイーツを含めてちょっと食べすぎてしまい、3,960円もかかってしまたのですが大満足です。



 さあ、ちょっと早い晩ご飯を済ませたのであとは温泉と寝るところです。温泉は事前に調べていた中から選んだのが宿毛市にある「宿毛リゾート 椰子の湯」。ホテルのお風呂を日帰り客にも開放している温泉です。料金はひとり650円。たぶん夕陽の眺めが素晴らしいのだろうと思いますが、夜で景色が見えなくても開放的な空間はとても気持ちのいい温泉でした。



 温泉の後はさらに南下して足摺岬のすぐ手前にある「道の駅 めじかの里土佐清水」で車中泊することにしました。岬まで行ってしまってもよかったのですが、きれいなトイレがあるかどうか不安だったので、ここに決めました。すでに車中泊の車が何台も停まっていますが、駐車場が広いので問題なしでした。翌日はいよいよ大晦日、何としても帰宅せねばらないので6時に起きるつもりで就寝しました。

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四国一周 車中泊の旅 No.2

2020年01月05日 | 旅行・車中泊
 四国一周の車中泊ツアー、2日目は「道の駅藍ランドうだつ」にて7時過ぎに起床。まずはワンコに朝ご飯をあげてそのままトイレのための散歩に出かけました。駐車場の裏手からうだつの町並みに入ることができるので、早朝の誰もいない町並みをワンコと一緒に歩きました。その後、車に戻って着替え、歯磨き、トイレを済ませて、もう一度奥さんと一緒に町並みを散策しました。なかなか風情がある町です。倉敷や近江八幡に引けを取らない観光ポイントだと思いましたが、60年近く生きてきて、この徳島にこんないい所があるなんて全く知りませんでした。すぐそばには雄大な吉野川が流れていて、この堤防を歩くだけでも清々しい気持ちになりました。今回の想定ルートに沿って車中泊ポイントや観光ポイントを事前に調べたときにこの地を発見したのですが、ここに来ようと決めていたわけではなく、時間があれば見学しようと思っていた程度なので、偶然といっても過言ではありません。でも、結果的に気持ちのよい時間を過ごすことができました。

吉野川の堤防から見る道の駅。


町並みの裏側。

現在の吉野川の堤防ができるまでは大雨のあとなどはこの石垣の高さまで水位があがったそうです。

朝が早いので誰もいない町並み。


現役のボンカレーの看板。


向うに吉野川の堤防が見えます。












吉野川の雄大な景色。




 朝ご飯は近くのマクドナルドで済ませ、9時頃に出発しました。とにかく西に向かってできるだけ進もうと思う一方で、少しくらい寄り道も、と思って事前に調べていた「加茂の大クス」というところをナビにセットしてスタートしました。ところがなかなか到達することができず、その前に「名勝・天然記念物 美濃田の淵」という標識が見えたので、急きょそちらに向かうことにしました。加茂の大クスはどうやらナビの設定ミスで、すでに行き過ぎていたようです。「美濃田の淵」は吉野川の渓流にある何とものんびりした景勝地でした。ワンコを連れて1時間ほど散策、ここでも心地よい時間を過ごしました。




隆起する四国山地の「青石」が侵食を受けて形成されたとあります。本当に青い石でした。







 さあ、ここから四国中央市、新居浜市、西条市、東温市、松山市をすべて素通りして伊予市まで一気に走りました。そうそう、途中の農協でミカンを買いました。その後、愛媛のおいしいご飯を食べようとロードサイドの飲食店を探しながら走ったものの、残念ながらいい所を見つけることができず、空腹感が増してきました。
 ずっと山の中を走ってきたため、眼前に伊予灘が広がった時にはなんだかワクワクした気分になりました。伊予灘に面した国道378号線、通称「夕焼け小焼けライン」はたいへん走りやすい道です。「ふたみシーサイド公園」の看板が見えたので入りました。ここは「道の駅ふたみ」を併設する夕焼け絶景スポットのようです。天気が良ければ夕陽がきれいに見えるのでしょうが、冬至を過ぎたばかりの今の時期、太陽は海に沈むのではなく海岸線の内側、つまり陸地ぎりぎりに沈むようなので、仮に晴れていても残念なことだったようです。





冬至の日は一番左側の線の先に陽が沈むそうです。




 一枚130円の名物じゃこ天で少しだけお腹をごまかしましたが、時刻は16時少し前、ワンコにご飯をあげて出発しました。できればこの日のうちに佐田岬の灯台を見ておきたかったのですがあきらめました。そして、2泊3日では無理かもしれないと思い始めたのです。

 さて、次は必ず寄ろうと思っていたインスタスポットのJR下灘駅。到着すると予想以上の人だかり。それもそのはず、もうすぐ電車が来るという絶妙の時間でした。これはラッキー。しかも、駅前の駐車場は偶然にも一台分の空きがありました。ワンコを連れて降りると係の人から「ワンちゃんはダメです」と言われてしまいました。よく考えれば駅の中です。そりゃそうだ。電車を待ち構える人に混じって必死に写真を撮りました。意外にもここから電車に乗る人の多いこと。この人たちは電車でやってきたのでしょうか。それとも車を置いているので戻ってくるのでしょうか。







 ここまで走ってくると食事処はなさそうです。時間も時間だったので、佐田岬の根元、伊方町にある「健康交流施設 亀ケ池温泉」で食事、入浴、車中泊の三点セットの実行を決めました。レストランがすいているうちにと思って、まず食事をすることにしました。瀬戸御前1,380円と佐田岬の海鮮丼1,410円、合計2,790円。ここも魚が新鮮で美味しかったです。食事を済ませてから温泉に浸かりました。料金は大人600円です。いいお湯でした。
 風呂上がりの湯冷ましを兼ねて売店をウロウロ。車で走っていても感じたのですが、思っていた以上に四国はミカンですね。「愛媛マドンナ」とか「紅マドンナ」というミカンの品種をこの売店で初めて知りました。見た目がすごい美味しそうなので買おうかなと思ったのだけど少し高いので見送りました。
 この温泉の駐車場は車中泊がOKで、受付で車中泊をしたい旨を伝えるとトイレの場所など親切に教えていただけました。この日はグランメゾン東京の最終回だったので車中でテレビを観てから就寝しました。とても広い駐車場なので周囲の音などは気にならず、朝までぐっすり眠ることができました。




車中泊で巡る 道の駅攻略ガイド (ヤエスメディアムック613)
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ロードマップ『道の駅 旅案内 全国地図 平成30年度版』
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四国一周 車中泊の旅 No.1

2020年01月04日 | 旅行・車中泊
 2019年12月28日、四国一周の車中泊ツアーに出かけました。2泊3日の予定で出発したものの、あちこちで楽しい時間を過ごしたために結局は1泊追加して3泊4日の旅になりました。これまで出かけた車中泊の中では最も充実した旅となりましたので紹介したいと思います。

 まずはおおまかなコースを。富田林の自宅を出て阪神高速から第2神明を経て、神戸淡路鳴門自動車で明石海峡、淡路島、鳴門海峡を通過、鳴門北インターでおりて四国に入りました。大塚国際美術館を見学したあと、吉野川に沿って西に進んで「道の駅藍ランドうだつ」で車中泊。翌日はさらに西に向かい、新居浜、松山を経て佐田岬半島に入って伊方町の「健康交流施設亀ヶ池温泉」で食事、入浴、車中泊。3日目は半島の先端の佐田岬灯台まで行った後、南下して宇和島、宿毛を経て「道の駅めじかの里土佐清水」で車中泊。最終日は足摺岬を楽しんだ後、土佐湾の海岸線に沿って室戸岬まで一気に東進。そして北上して徳島インターから高速に乗って自宅へ戻ってきました。鳴門を起点に時計と反対周りに四国を一周したことになります。ただ、残念ながら香川県には入れませんでした。では、このあと初日の旅を詳しく報告します。

 もともと少しタイトなことはわかっていて2泊3日で組んだ行程でしたが、いつもの通りスタートからつまづくことに。大塚国際美術館は職場の後輩から「ガイドの説明を聞きながら見学したほうがいい」と聞いていたので、事前に調べて10時開始のガイドツアーに間に合うように行こうと思っていたのですが、自宅を出たのが9時15分で美術館についたのが11時半でした。駐車場からシャトルバスに乗るつもりをしていたのですがワンコを少し散歩させていると係の人に「ワンちゃんはどうされますか」と聞かれたので「車に置いていきます」と答えると「ペット連れの方のための駐車場が美術館にあるのでご案内します」と教えてくれました。すごく親切で丁寧なご案内をありがたく受けることにしました。大塚国際美術館にペット連れでいかれる方は駐車場で係の方に聞いてみるといいと思います。

 12時少し前に入館。次のガイドツアーは残念ながら13時からだったのであきらめてイヤホンガイドを500円で購入して見学をスタートしました。いきなりのシスティナ礼拝堂では時間が経つのを忘れてしまうほどフレスコ画(の復元)を眺めていました。その後も順路に従って見学を進めるのですが、どれもこれも素晴らしい。5年前に行ったイタリアを思い出しながらの見学だったので余計に楽しかった。ここの復元技術は公式サイトをみていただくのがいいので説明は省きますが、見事としか言いようがない。











 そんなこんなで見学を終えたのは16時半頃でした。当初の予定では10時にスタートして3時間くらい、つまり13時頃には美術館を出て鳴門市内の「蕎麦と活魚の店なるみ丸」でランチを取る予定でしたが、結局は少し早い晩ご飯になってしまいました。お造り盛り合わせ定食(蕎麦付き)が1,680円、大鳴門鯛まぶし(蕎麦付き)1,580円、カキフライ480円、しめて3,740円。魚は全て新鮮で美味しかった。お薦めのお店です。ここは「鳴門天然温泉あらたえの湯」という地元で人気の温泉があるのですが、少し早い時間だったのでここでのお風呂はパスして先に進むことにしました。







 そして向かったのが「あせび温泉やすらぎの郷」。候補に挙げていた温泉の中でもポイントが高かったので決めたのですが、到着してがっかり。すでに年末の休暇に入っていたのです。次の行き先を考えているうちにも停まっては戻っていく車が何台もありました。そして私たちの前にはキャンピングカーが停まっています。出発間際に覗き込むと運転手を含めて3人の男性が並んで座っています。このキャンピングカー、覚えておいてください。



 結局、そこからさらに20分ほど走ったところの「天然温泉御所の郷」で入浴。料金はひとり600円。露天風呂もあって1時間ほどゆったり浸かって運転と美術館見学の疲れを癒しました。ここを出たのが21時頃だったかな。翌日のことを考えるとできるだけ西に行っておきたかったので、さらに30分ほど走って「道の駅藍ランドうだつ」で車中泊することに決定。すでに車中泊の車が何台か停まっています。

 今回、事前に車中泊グッヅをいくつか買い揃えていました。厚さ10センチの高反発マット、断熱・遮光のウインドウシェード、運転席と寝床を仕切るカーテン。これらをセットしてトイレと歯磨きを済ませ、さらには多機能トイレで持参したティファールでお湯を沸かして湯たんぽに注入。掛け布団は羽毛布団を積んできたので寒さ対策は万全。ワンコの散歩も終えて夜10時過ぎには就寝。夜中に何度か車の出入りがあって目が覚めたものの、朝までゆっくり休むことができました。


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新沢千塚古墳群(葛城・纒向ツアー No.15)

2020年01月03日 | 実地踏査・古代史旅
 新沢千塚古墳群は畝傍山の南に広がる越智岡丘陵上にあって、古墳時代前期〜後期に形成された円墳など総数600基以上の墳墓を有する日本有数の群集墳で、1976年(昭和51年)に国の史跡に指定されています。これらの墳墓は4世紀末から7世紀、つまり古墳時代を通じて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに作られたそうです。なお、巨勢山古墳群と違ってこの古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されていません。

公園の案内板。

古墳群の全体がわかります。

 もともと行程に組み込んでいなかったこの新沢千塚古墳群。どうして直前で行くことにしたのかと言えば、事前学習で訪ねた古代オリエント博物館の「しきしまの大和へ -アジア文華往来- 」という秋の特別展を見たからです。「国際色豊かな副葬品が出土した新沢千塚古墳群」と紹介されているのを見て心を動かされました。

その国際色豊かな副葬品が出土した126号墳を紹介した特別展のパネル展示。

写真の真ん中あたり、丘陵のくびれている部分に見える長方形の墳丘が126号墳です。拡大しないとわからないかな。

 古墳群は1947年(昭和22年)以降、なんども調査が実施されたようですが、5世紀後半の126号墳からは、金・銀・ガラス・ヒスイを用いた大量の装飾品が遺骨に装着したままの状態で出土したそうです。火熨斗(ひのし)という炭を入れてアイロンとして使用した金属器が日本で初めて出土したり、西域から新羅経由でもたらされたと見られるローマンガラス製品が出土したりするなど、全国的に大きな話題となったようです。このときの出土品は東京国立博物館に所蔵されているとのことで、機会があれば見てみたいです。

甲冑一式、盾、鉄刀などの武具や武器が出土した115号墳。

直径18メートルの円墳です。

これが126号墳。




墳丘上で顔出しの記念撮影。


太陽は沈み、小さいけれども明るい月が現れています。


畝傍山がきれいに見えます。


あちこちにポコポコと見える小さな古墳。






 時間があれば併設する「歴史に憩う橿原市博物館」を見学したかったのですが、この日は朝から充実の踏査を続けてきたために最後にしわ寄せがきて、古墳群そのものをほとんど見ることができませんでした。それでも126号墳を確認できただけでも満足です。

 さあ、これで初日の踏査がすべて終了です。大和八木まで戻ってレンタカーを返却し、すぐ近くのホテルにチェックイン。このあとはお楽しみの反省会です。

近くの居酒屋で一日を振り返って盛り上がりました。

 
 2日目は大和八木駅から近鉄で東へ3つ目の桜井駅へ移動、駅前でレンタサイクルを借りて纒向からオオヤマト古墳群を巡ります。初日よりも珍道中になったので、次回からのレポートをお楽しみに。



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掖上鑵子塚古墳(葛城・纒向ツアー No.14)

2020年01月01日 | 実地踏査・古代史旅
 日本武尊白鳥陵から北東に向かって走ること数分、低い尾根を横切る切り通しを抜けると突然現れるのが掖上鑵子塚(わきがみかんすづか)古墳。全長が149メートルの大型前方後円墳ですが、航空写真を見ると、前方部の南側に直径50メートルほどの円墳があるために奇麗な前方後円形にならず、ホタテ貝形とも思える中途半端な墳形になっています。 
 古墳を取り囲む田畑は周濠跡だとはっきりわかるような形で並んでいます。車が走る道路がその周りに敷かれ、これも周堤跡を思わせます。



 南葛城地方では238メートルの室宮山古墳に次ぐ規模で、その宮山古墳と同様に墳頂部から様々な形象埴輪が見つかっています。ほかに金銅製帯金具、心葉形垂飾、挂甲小札、琴柱形石製品などの副葬品が検出されていること、5世紀後葉の築造とされていることと合わせて考えると室宮山古墳の被葬者である葛城襲津彦の子、あるいは孫の世代の首長クラスの墓ということになるでしょうか。
 葛城本宗家とすれば嫡男の玉田宿禰、もしくはその子の円大臣ということになります。(玉田宿禰は日本書紀の雄略紀においては子とされるも允恭紀では孫とされています。)
 玉田宿禰は反正天皇の殯を命じられたにもかかわらず、命令に背いて酒宴を催していたことがバレて允恭天皇に誅殺されました。一方の円大臣は眉輪王が父の仇として安康天皇を殺した眉輪王の変において彼を屋敷にかくまった結果、雄略天皇に屋敷を囲まれて眉輪王とともに焼き殺されました。いずれも天皇に殺されるという非業の死を遂げた人物ということになりますが、その結果として葛城の本拠地を少し外れて尾根に囲まれた閉鎖的なところに葬られたという考えが提示されています。

 掖上鑵子塚古墳が誰の墓であるかについては江戸時代以降、次のように様々な考えが出されているようです。

 ・寛政9年(1797年)陵墓志・・・・・・孝安天皇玉手丘上陵。
 ・正徳3年(1713年)和漢三才図会・・・日本武尊白鳥陵。
 ・享和元年(1801年)山陵志・・・・・・武内宿禰墓。
 ・慶応元年(1865年)聖蹟図志・・・・・日本武尊白鳥陵。

 現在、孝安天皇陵や日本武尊白鳥陵は別の古墳に治定されているし、室宮山古墳が武内宿禰の墓という説もあるので、言うたもん勝ちみたいになってます。

古墳脇に立つ説明板。

日本人でさえこの古墳を見に来る人は余程のマニアだと思うのだけど、中国語や韓国語が併記されていることに大きな違和感を感じました。

前方部の縁を北側(左側)から。

右側に見える道路が周堤、その下の田んぼが周濠という感じです。

後円部。


前方部。


 太陽が傾いて夕暮れが迫っているからかもわかりませんが、林に囲まれたこの場所は確かに閉鎖的で何となく空気が澱んでいる感じがしました。何らかの特別の意思をもってここに墓を築いたと言われれば、そんなことはないと否定しにくい空気が漂っていました。

撮影を済ませて車を走らせ、後円部を少し回り込んだところで墳丘の裾に見つけた白い看板のようなもの。


車を停めて周濠跡の畑に降りてあぜ道から撮影しました。

最初の説明板と同じことが書かれていました。

時間があればぐるりと一周したいところでしたが、残された時間があまりありません。最後に行くことにしている新沢千塚古墳群を暗闇の中で見学することだけは避けたいと思い、先を急ぎました。





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